森永ヒ素ミルク中毒事件大阪訴訟原告弁護団による最高裁判所への上告理由書が提出されているので、以下に公開する。なお原告名は仮名にした。
令和8年(ネオ)第50号 上告提起事件
上告人 東田朝子(仮名)
被上告人 森永乳業株式会社
上告理由書
2026(令和8)年4月1日
最高裁判所 御中
上告人訴訟代理人 弁護士 山 下 潔
同 弁護士 熊 野 勝 之
同 弁護士 堀 和 幸
同 弁護士 田 中 俊
同 弁護士 西 谷 拓 哉
同 弁護士 中 森 俊 久
同 弁護士 小 川 晃 史
同 弁護士 馬 場 直 樹
控訴審判決は、憲法14条(法の下の平等)及び憲法13条(人格権の保障)に反すること
第1 控訴審判決(以下、「原判決」と言う。)は、争点(7)被控訴人の除斥期間の主張が権利の濫用や信義則違反に当たるか、について、以下のように判示した。
すなわち、「控訴人は、被控訴人の除斥期間の主張は、障害者の権利に関する条約により排除されなければならないとか、優生保護法に基づく優生手術により生じた断種に等しい控訴人の特殊な疾患による損害につき除斥期間の適用をすることは、著しく公平と正義に反し、同条約2条の合理的配慮を欠くものである」などと主張する。しかし、原判決のとおり、「改正前、民法724条後段所定の除斥期間は、控訴人が障害者であることを理由として適用されるものではないから、被控訴人が除斥期間の経過を主張することは、障害に基づく差別に該当するものではない。」と断じた。
しかしながら、原判決は、上告人の主張を正解していない。上告人は、本件において、民法724条の除斥期間を適用することは、上告人のような障害者を差別することとなり、障害者権利条約及び実質的平等を定める憲法14条、及び憲法13条に反するから、除斥期間の主張は許されるべきでなく、適用を制限すべきだと主張するものである。以下、具体的に論じる。
第2 軽度障害者に比し、ひかり協会による重度障害者に対する補償が十分でないことは、合理的配慮の提供の要件を欠き、平等原則(憲法14条)に反すること
1 障害者権利条約の合理的配慮の解釈
障害者権利条約第2条によれば、「障害に基づく差別」とは、「障害に基づくあらゆる区別、排除、制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。」そして、「障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。」とされている。また、「「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」とされる(以上、日本政府公定訳、甲第117号証)。
一般的には、障害者と非障害者間での差別的取り扱いが問題となるが、障害者相互間でも差別が問題となる。例えば、聴覚障害者のみが観劇する場合、手話通訳者を付するのは合理的配慮の提供となるが、聴覚障害者の中に一人だけ視覚障害者がいた場合、聴覚障害者との関係で音量は問題とならないとしてマイクを使わないことは、視覚障害者に対する関係では合理的配慮の提供が欠けることになってしまう。
このように、差別は、障害者間にも問題となるところ、上告人が慰謝料請求を提訴したのは、ひかり手当の金額が、軽症の被害者に比し、上告人の重度化した障害に見合っておらず十分でないことが背景としてある。
2 上告人の慰謝料請求
ひかり協会では、砒素ミルク被害者に対し、ひかり手当(生活手当と調整手当)を支給しているところ、生活手当は国から支給される障害基礎年金と合わせて月額約14万円が支給される。そして、障害基礎年金1級の被害者には、生活手当1級として月額5万8757円が、障害基礎年金2級の被害者には、生活手当2級として月額7万5025円が支給されている。そして、障害基礎年金を受給するほどの重い障害がなくても、一定の困難を有する被害者には、別途調整手当が等級に応じて支給されている(1級月額7万円、2級月額6万3100円、3級月額2万8200円が支給されている。(以上は、令和3年当時の金額である。)(第一審判決18頁)。
上告人には、昭和52年以降、平成17年2月までは調整手当2級の金額が、平成16年11月に身体障害の等級が3級から1級に変更されてからは、調整手当1級の金額が支払われてきた(同)。しかし、発症から現在に至るまで、上告人の症状は増悪するばかりであり、上告人の障害は重度化の一途を辿った。にもかかわらず、上告人が生活して行くためにはひかり協会からの調整手当では到底十分なものでなかった。他方、軽傷の被害者は、ひかり協会からの手当で満足するものが多く、中には、「森永への処罰感情は薄らいだ、砒素ミルク事件の被害者でよかった。」と述べる者まで現れた(前野証人尋問調書37頁)。このように重症化した者と軽傷で止まった者の間には、手当に対する満足感が異なっており、ひかり協会の中においても両者の間に分断が生じた。
被上告人の負担する手当は、当初、三者合意(昭和48年12月)では、恒久対策案を尊重するとされていたが、その恒久対策案によれば、精神的、身体的事由のため就職できず、また就職しても能力不足のため標準的な収入を得られない場合には、国家公務員一般行政職の給与まで保障するものとされていた。ところが、その後、前述のように、ひかり協会は国からの障害基礎年金を当てにするようになり、被上告人が負担する手当の手当に占める支出割合は減っていった。上告人は、ひかり協会に対して、手当の支給額を障害の程度に見合った金額に増額することを申し入れたが、職員から「そんなことはできない。」と直ちに断られた(原告本人調書8頁)。
このような状況の中で、上告人は、2022(令和4)年に、森永乳業を相手として本件損害賠償請求訴訟を提訴したのである。ひかり協会を介してなされる被上告人からの給付が、軽症者に比し、あまりに少ないことから、上告人は慰謝料請求という形で被上告人の責任を追及することを余儀なくされたのである。
この点、被上告人は、今まで上告人になされた手当の中には、慰謝料相当額が含まれていると主張しているが、そもそも身体障害の度合いが重いほうが軽度の障害者に比して、被上告人が負担する手当の金額は、低くなっているのであり、被上告人の主張は失当であると言うほかない。百歩譲って、仮に手当に慰謝料が含まれているとしても、それは僅少すぎるのであって、軽症に留まった者との間での給付の取り扱いを差別するものである。
3 上告人の慰謝料請求を認めることは、障害者権利条約が規定する合理的配慮の提供にあたること
(1)合理的配慮の要件該当性の検討
ところで、前述した合理的配慮が認められるべき要件は、障害者権利条約第2条の定める「合理的配慮」の定義、「「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」からすると、①必要かつ適当な変更及び調整であること、②均衡を失した過度の負担を課さないものであること、③特定の場合において必要とされるものであること、④障害者が他の者と平等に全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するためのものであること、である。
上告人に対し被上告人からの慰謝料請求を認めることは、給付金額において軽症者との平等化を図るために適当な変更及び調整であるので①の要件は満たす。また、有価証券報告書(甲92)を見ても、被上告人は、明治、雪印メグミルクと並ぶ3大乳業メーカーであり、莫大な利益を毎年計上している大企業であることからしても、上告人に対し5000万円程度の慰謝料を支給させても均衡を失した過度な負担ではないことから②の要件も充たす。そして、慰謝料の支払いは上告人に対して、特定の場合になされるものであるから③の要件も満たす。④の要件であるが、重症化の被害者である上告人に対する慰謝料の支給は、軽度の症状にとどまった被害者との間で、経済的に実質的平等を図るものであるから、④の要件も満たす。
以上より、被上告人が上告人の請求を認めないことは、合理的配慮の不提供にあたり、上告人のような砒素により重症化した被害者と軽症にとどまった被害者との間に、支給金額において実質的な差別を認めることは、障害者権利条約、ひいては憲法14条違反(最高裁判所も、私人間における憲法規範の間接的適用は認めている、日産自動車事件(昭和56年3月24日最高裁判決)、三菱樹脂事件(昭和48年12月12日最高裁判決))である。最高裁判所も憲法14条1項の「法の下の平等」について、単なる形式的な平等(絶対的平等)ではなく実質的な平等(相対的平等)を認めており、合理性の基準によって平等原則に反するか否かを判断している(例えば、非嫡出子の相続分差別意見判決(平成25年12月11日大法廷決定)、再婚禁止期間の短縮(平成27年12月16日大法廷判決)。
(2)建設的対話の検討
障害者権利条約では、条約履行状況を監視する機関である障害者権利委員会(障害者権利条約第34条)は、障害者権利条約の条文を解釈し、締約国に具体的な実施義務を示す一般的意見を作成している(。2018年に作成された一般的意見第6号では、障害者権利条約第5条に規定されている「平等及び無差別」に関する締約国の義務を明確化した。その中で、合理的配慮に関する第5条の3についての意見として、「合理的配慮は、希望者と交渉されなければならない。」「合理的配慮は、義務を負う者が障害者個人と対話することを必要とする。」23(b)とされる(甲118号証)。
このように、一般的意見は、合理的配慮の義務者と障害者個人の対話を要求している。いわゆる「建設的対話」と呼ばれるものである。
本件では、上告人は被上告人に対し、ひかり協会を通じて、被上告人から支払われる手当の増額を要求した。にもかかわらず、対応した職員はまともに対応するのではなく、「そんなことはできない」などと言って、直ちに断った(原告証人調書8頁)。しかるに、上告人は、2021(令和3)年3月19日、慰藉料を求めて、民事調停を申し立てた。しかし、被上告人は、出頭することはなかった。被上告人に上告人と対話する姿勢は見受けられなかった。
この点においても、被上告人に合理的配慮を提供する姿勢は認められず、被上告人の義務違反の程度は大きい。
第3 控訴審裁判所が、除斥期間を適用し、上告人の請求を棄却したことは、障害者権利条約に反し、平等原則(憲法14条)に反すること
1 控訴審裁判所の障害者権利条約違反
冒頭述べたように、原判決は、「改正前、民法724条後段所定の除斥期間は、控訴人が障害者であることを理由として適用されるものではないから、被控訴人が除斥期間の経過を主張することは、障害に基づく差別に該当するものではない。」と断じた。
しかしながら、原判決は、上告人の主張を正解していない。民法724条後段所定の除斥期間の適用が障害者だけでなく非障害者にも適用があることは、当然のことである。上告人が主張しているのは、本件上告人に本条を適用することは、障害者差別であり、障害者権利条約に反するだけでなく、平等原則(憲法14条)に違反するので、本件において適用を制限すべきであるということである。
障害者権利条約第5条は「平等及び無差別」について定めるが、第5条1項乃至3項は、以下のように規定する(甲第117号証)。
1 締約国は、全ての者が、法律の前に又は法律に基づいて平等であり、並びにいかなる差別もなしに法律による平等の保護及び利益を受ける権利を有することを認める。
2 締約国は、障害に基づくあらゆる差別を禁止するものとし、いかなる理由による差別に対しても平等かつ効果的な法的保護を障害者に保障する。
3 締約国は、平等を促進し、及び差別を撤廃することを目的として、合理的配慮が提供されることを確保するための全ての適当な措置をとる。
日本は、障害者権利条約を批准していることから、当然、本条を遵守する義務を負っている。本件との関係で、特に注目すべきは、平等促進及び差別撤廃のために合理的配慮の提供を確保するために適当な措置をとるとする3項である。
また、障害者権利条約第4条は、締約国の「一般的義務」を定めるが、第1項では、「締約国は、障害に基づくいかなる差別もなしに、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。」として、(a)から(ì)の9つの事項を挙げる。本件に関係するのは、(b)である。すなわち、第4条1項(b)は、次のように規定する。
「障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するための全ての適当な措置(立法を含む。)をとること」
としている。裁判所は、司法を司る国家機関であり、障害者権利条約を法源として判断するものであるが、既存の民法の規定をそのまま適用すれば、障害者に対する差別となる場合には、民法の規定を制限解釈することが本条項(b)により要請されている、と解すべきである。本件において、司法が、除斥期間の規定を適用して、具体的な判断を事実上回避することは、第2で述べた障害が重度化している砒素被害者である上告人と砒素の障害が軽度の被害者との間での給付における不平等状況を司法が追認することに他ならない。
日本国憲法第98条2項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定されており、条約が国内法秩序において法律よりも上位に位置付けられると考えるのが一般である。
したがって、条約の効力は法律に優位するのであるから、障害者権利条約から民法の除斥期間の規定を限定的に解釈することは法理論的にも可能である。
第4 除斥期間の適用を認めたことは、障害者間の差別を看過することになり、平等原則違反(14条)であるのみならず、上告人の人格権侵害を放置することになること
本人の意思ではなく、生まれたての赤ん坊のときに砒素ミルクを日常的に飲用させられたことにより、上告人は壮絶な人生を歩むことを余儀なくされた。幼少の頃は、学校でいじめに遭い、卒業してからも、職場での差別発言により退職に追いやられ、兄からも侮辱的な応対をされるなどし、その結果、何度も死のうと考えた(原告本人調書11頁)。体調は増悪し、何度も手術をするなど、上告人は現在も砒素による後遺症と戦っている。被上告人が製造販売した粉ミルクの砒素被害により、何らの責任もない上告人の人生は、大きく変容した。以上は、上告人の陳述書、第1審での証言(原告本人調書)、控訴審で泣きながら自分の意見を訴えた意見陳述でも明らかである。
被上告人による砒素中毒により、上告人の人間らしく生きる権利は蹂躙された。上告人の人格権が侵害されたことは明らかである。にもかかわらず、本件に除斥期間の適用を認めれば、東田朝子という一人の人間の尊厳を奪うことになる。
上告人に除斥期間の適用を認めることは、上告人の人格の尊厳を侵害することになるから、除斥期間適用をそのまま認めた原判決は、憲法13条(個人の尊厳)の観点からも違憲である。
第5 結論
上告人に対する合理的配慮の提供義務があるにもかかわらずその提供をしない(その前提となる対話さえ行おうとしない)被上告人は、砒素による重度障害者である上告人を、砒素による軽度障害者との関係で、差別するものであるから、障害者権利条約に違反し、ひいては憲法14条違反が認められる。また、上告人の人格権を侵害するものであり、憲法13条にも反する。
にもかかわらず、控訴審裁判所が、障害者差別による平等権侵害、及び人格権侵害があるにもかかわらず、本件において、改正前民法724条後段の除斥期間の規定を制限解釈せずに適用したことは、障害者権利条約第2条、第5条、第4条1項(b)違反にとどまらず、その結果、憲法14条及び憲法13条に反するので、控訴審判決は破棄されるべきである。
以 上
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident