森永ヒ素ミルク中毒事件
100年 年表
漸次追記中
★【森永乳業の母体成立/軍部に積極参加の営業体質へ】/森永乳業の母体・株式会社森永商店設立(資本金30万円)(後の森永製菓
★森永製菓株式会社に改称 翌年1913「森永社長、支那、満洲、朝鮮に出張」、1914「森永社長 南洋・印度方面出張」
★菓子を軍のノベルティとして便乗宣伝。軍との関係を緊密化させる。陸軍大観兵式で景品を首都圏で自動車からばら撒く(自称;自動車広告隊、活動写真宣伝隊) 皇室に菓子献上
★森永製菓が、キャラメル原料(練乳)製造のため、愛国練乳合資会社を買収し、日本練乳株式会社(後の森永乳業)を設立(資本金30万円)/アジア全域へ拡販開始
★森永製菓が日本練乳を吸収合併、製菓畜産部(その後、練乳部)となる
森永練乳が「森永ドライミルク」製造開始 1922ドライミルクを皇室に献上
★森永練乳株式会社(森永製菓から分離独立。但し社長は、製菓創業者の森永太一郎、専務は松崎半三郎などで、森永製菓のコピー会社)
★製菓「爆弾チョコレート」なるものを2万個製造し海軍に納入。戦争協力活発化。1940年発足の大政翼賛会、産業報告会の先取り的行動
★「当社の主唱で支那事変(満洲事変)傷痍軍人後援会」と戦後出版(1954年刊)の社史で宣伝。
★製菓、自社の宣伝「植民地に及ぶ」(1954年刊行社史) 皇室との関係を強化
★製菓、S13には「皇軍慰問」ポスター作文20万点を募集し大本営に献納、若年層へのプロパガンダの先頭に立つ
…(追記中)
★森永乳業設立 森永製菓からの分社)1954まで業績は右肩上がり(第二期から第十期の4年間で売り上げは3.97倍)
★森永乳業株式会社、資本金1千万円
★森永乳業徳島工場 第二リン酸ソーダ(試薬一級)による実験的製造開始
広告にサザエさん起用
★森永乳業平塚工場 ビタミン入り粉乳「ビタドライ」製造
★「赤ちゃんコンクール」実施 (岡山県が最初となる。森永乳業、山陽新聞、岡山大学小児科、岡山県衛生部が協力
★森永乳業株式会社、資本金1億5千万円に急膨張
★森永乳業、特約店、保健婦対象に「森永映画鑑賞会」を全国で展開
★森永乳業徳島工場、協和産業から第二リン酸ソーダ(無規格品)購入を開始
★「森永ベータドライミルク」発売
★森永製菓 自社の『森永55年史』(p.332)刊行 ナチス「ハーケンクロイツ」マーク入り菓子パッケージ写真をトップ掲載し、1938年に開催した日独伊三国同盟ポスター展の取り組みほか、軍事教練、軍需物資製造等の「産業報国」「大政翼賛」活動を「栄光の歴史」として自賛
★森永乳業徳島工場製造課長と本社技術部長、香川県内3か所の授乳所で生乳の防腐剤として過酸化水素を混和(違法行為、中毒事件の取り調べで発覚)
★西日本一帯で人工栄養児に奇病発生 6月
★奈良県の医師・梁瀬義亮、中毒乳児を診察、保健所と森永に通報するも、両者は無視 7月
★森永乳業徳島工場、社員を動員して、徳島市内の薬局に局方薬の第二リン酸ソーダの買い占めに走らせる。(証拠隠滅行為として検察に把握される)8.16頃
★森永徳島工場長・山口が、岡山日赤病院で森永ミルクを問題にしていることに対して抗議(圧力)の訪問 8.19
★奇病の原因は森永ミルクによるヒ素中毒と岡山県衛生部が発表 (8月24日)
★日赤岡山病院入者を中心に被災者家族中毒対策同盟結成 (8月27日)
★徳島地検、森永を起訴 (9月20日)
★六人委員会「治療判定基準」その他、厚生省に答申 (11月2日)
★森永乳業・七海重役が、読売新聞記者へ脅し。「これ以上ベータドライミルクを追い回すなら一切広告は出さない」
★五人委員会意見書発表 (厚生省設立)中立的第三者委員会の装いで患者にも相談なく、「森永は無罪、赤ん坊に後遺症はない、死亡者25万、他は一律1万」を新聞発表。森永は「厚生省のいいつけで、5人委員会の指示に従わざるを得ない、したがって今後患者とは話ができない」と患者団体へ一方的通告。12.15
★東京・森永本社で森永重役・七海氏、患者団体に対し、「あなた方がいくら騒動を起こしても、もう新聞には一行だって出ませんよ」と発言。1.22
★厚生省、MF缶のロンダリングのため全国の都道府県に回収缶の東京都への回送を下命。表向き廃棄処分にすると新聞発表していたMF缶80万缶以上を、実際には育雛用飼料─ひな鳥のエサ─に混ぜて再販売する計画が始動 3.17
★岡山同盟解散。岡山県森永ヒ素ミルク中毒のこどもを守る会結成 (6月24日)
★森永、「赤ちゃんコンクール」の名称を「赤ちゃん展」に変え販促活動を再スタート(天満屋岡山店)。主催は森永乳業、指導・愛育会、後援・岡山県・岡山市・山陽新聞。11.16
★財団法人森永奉仕会設立 2.20 森永が患者に一時約束していた後遺症の研究機関の設立を反故にし、一転、正反対の、全国の国立・私立大学研究者に資金をばらまき後遺症への口封じを狙うという機関を作る。 法人設立資本金の半分は、厚生省が廃棄処分にすると新聞発表していたMF缶80万缶以上をひな鳥の餌に混ぜて不正に再販売した収益金。 直接的には東京都衛生部が実行役とみられる。
★『森永ヒ素ミルク事件史』発刊 (5月24日)
★岡山県守る会、岡山県衛生部前で座り込み 6.18
★日本母親大会参加決定。森永に全員治療の約束をさせ参加中止 (8月2日)
★森永と守る会会談 森永側、守る会の解散を条件に『森永ミルク事件史』の負債の支払いを持ちかける。 9.16
★岡山県衛生部『岡山県における粉乳ヒ素中毒症発生記録』(編集者:浜本英次)発行。(県費*県民の税金で刊行)森永乳業にはいち早く贈呈 10.1
★守る会、正式文書で上記文献の頒布を岡山県衛生部長へ要請。岡山県より正式な回答なく、同衛生部・島崎係長は、守る会顧問に「“子供を守る会”が解散すれば記念品として本書を贈る」などとほのめかす。11.1
★森永、10万円で『森永ヒ素ミルク事件史』の版権委譲を守る会に要求するも、守る会は拒否。12.14
★森永、治療費を請求した被害者の知人を恐喝罪で告訴、罰金刑に
★岡崎哲夫の夫人幸子宛の森永社員の手紙「インテリは子育てが下手だと医者が言うことを(あなたが)立証」などという誹謗中傷 6.24
★守る会、会員に対し、解散か存続かのアンケート実施。黒川克己氏が一人、解散主張、他全員存続回答で、黒川氏、守る会顧問を辞退する。8.3
★守る会、10人の被害児の治療を森永に約束させる (10月10日)
★岡山県守る会、岡山県高梁保健所長に同年8月9日死亡被害児(4歳)の解剖を遺族の同意のもと要望することを決定(岡子守会発206号)8.25
★岡山県衛生部、岡山県知事に同年8月9日死亡被害児の死因は先天性であり、ヒ素中毒による影響とは考えられず、解剖の必要はない、と報告。9.8
★守る会、森永乳業・大野社長宛てに「後遺症に対する恒久措置確立」要望書送付するも、完全無視。 1.17
★森永乳業、森永Gドライミルクを新発売。発売に先立つ臨床試験には、西沢義人と浜本英次らが参加 5月
★守る会第5回総会 吉房夫妻らの上京を決定。8.23 生米持参、野宿覚悟で第六回日本母親大会に参加。目白警察署で一泊。その後8.24 森永本社を訪問するも社長は面会拒否、その足で中山マサ厚生大臣に陳情。これを報道したのは、「アサヒ芸能」(週刊誌)と「日本福祉新聞」のみ(アサヒ芸能の記事に、森永が圧力行為─記者証言─)
★第六回日本母親大会に参加。中山マサ厚生大臣に陳情 (8月20日)
★守る会臨時総会、出席者5家族 必死の陳情がすべて黙殺された現状に「10年戦争」を決意。1.15
★森永乳業の売上高、純利益、対売上高利益率、いずれも明治を抜き返す。森永、15億に増資 3月
★森永、25億円に増資(急ピッチの増資)7.1
★守る会顧問の綱島長吉氏の転職活動(食品関連企業─日水、副社長推薦)において、元森永乳業重役の日水社長がパージ。(私信)8.15
★守る会第七回総会。 会の名称より「岡山県」を除く (8月27日)
★守る会の5名 森永乳業岡山出張所前で座り込み。「森永よ!約束を守れ!砒素中毒の後遺症に誠意を示せ」「子供の体を元に戻せ」の横断幕掲示。
★森永乳業 ダブルGドライミルク新発売
★徳島地裁で森永の無罪の判決。 徳島地検は高松高裁へ控訴 (10月25日)
★同日、守る会、徳島地検と徳島地裁に声明書送付。「守る会は第二審での公正な裁判のやり直しを要求する」
★守る会第9回総会、親子14人が参集し、来年の定期総会は事件10周年記念集会とすることを決定。
★岡山地裁に提訴中の岡山訴訟派55人は民事裁判で和解 (4月1日)
★森永乳業、資本金40億円へ肥大
★名古屋の『ジャーナル新聞』、粉乳ヒ素中毒事件の回顧を12回連載(綱島長吉著)
★中国新聞(広島)のみが「森永ミルク事件から10周年 ヒ素中毒に後遺症」掲載 8.24
★守る会第十回総会。岡山県下80名の被害者の親が参加。会の解散を否決して存続決議 (森永、「守る会解散か」と喜び、「解散記念品」を持参)8.24
★厚生省、事件当時の患者名簿原本を保管期限切れにより廃棄処分
★高松高裁は第一蕃の判決を破棄、差戻し決定、森永上告 (3月31日)
★岡山県薬禍問題等連絡会準備会で設立趣意書(森永、サリドマイド等)7.11 水面下で反撃の準備が進む
★守る会第11回総会 新会員の参加あり 「二十年戦争」を宣言 同日、守る会、徳島地方裁判所刑事裁判係へ要望書提出、被害児の後遺症及び、森永側の後遺症対策約束の不実行を訴える。8.21
★岡山県薬禍問題等連絡会準備会が薬害対策協議会に改称、設立総会(会長:遠迫克己医師、講師:大平昌彦岡大教授 議長:岡崎哲夫)11.26
★遠迫医師の斡旋で「守る会」は精密検診実施 (3月~9月末)
★森永乳業、『森永乳業50年史』を発行 森永無罪論、森永被害者論を展開、元森永製菓社員・電通常務が被害者圧殺のプロパガンダを自慢、「山陽新聞」や「岡山県」「岡大医学部浜本英次」の実名をあげて協力者として賞賛。阪大・西沢教授、「森永は被害者である。被害者の親は私が追い返した」と悪魔的な対談が多数掲載。巻末の年表には「S31年4月 翌月被災者補償等解決」と表記9.30
★岡山大学医学部衛生学教室から協力の申出、資料提供 (12月9日)
★最高裁は森永の上告を棄却し、徳島地裁へ差戻し (2月27日)
★大阪大学医学部丸山教授らによる 「十四年目の訪問」 公表 (10月18日)
★朝日新聞で 「十四年目の訪問」大々的に報道 (10月19日)
森永乳業社長・大野勇「晴天の霹靂」とわざとらしい驚きを装う声明。森永事件の報道が一斉に「解禁」に。
★守る会第一回全国総会、守る会、岡山県組織から全国組織となる (11月30日)
★第15回全国総会 「これ以降、代々木陣営の内部浸透が強化される」と岡崎哲夫は後日分析
★岡山県、守る会の要求をすべて拒否。「自主検診と二本立ての検診をあえて強行する。追跡調査も疫学調査も行わない」と宣言。岡山大学衛生学教室・大平教授(公衆衛生学)、岡山県調査委員会の委員就任を拒否。
★厚生省の指示により、「岡山県粉乳砒素中毒調査委員会」発足。非公開で規約審議 10.21
★森永と守る会、岡山市で第一回本部交渉、今後のルール確認 12.12
★守る会岡山県支部総会、岡山県の検診ボイコットを決議 12.13
★森永乳業、株主に冊子配布始める「昭和30年の粉乳中毒事件について」。冊子中で「森永も被害者」「岡山県の検診が一部の異論で遅れたのは遺憾に堪えない」と欺罔宣伝を強化。年末
★厚生省、森永の要請により、岡山県をモデルに予算130万円で検診を行うと発表(再度、後遺症なしを宣言するための官製検診)。森永は検診結果によって被害者対策を行うと発言。1月
守る会は岡山県粉乳砒素中毒調査委員会の討議公開などを要求。しかし、守る会の要望はすべて拒否される。
★民医連、被害者団体の反対を押し切って、官制検診に参加。
★厚生省、守る会の要望に回答。官制検診への森永の費用負担は不適当としつつ実際は森永が負担。予算130万円の十倍程を森永支出。 2.20
★3月 岡山大学医学部衛生学教室・青山英康助教授 広島へ森永事件被害者救済を訴え。広島で速やかに若手医師グループが中心となって「支援する会」が結成される。
★4月「岡山森永告発」が岡山大学医学部 衛生学教室内部で結成される。
告発、即座に森永製品全面不売買運動開始
★岡山大学衛生学教室 青山教授とのモデル疫学調査地区選定協議 瀬野川町長への請願書 5.2
★森永が守る会に「恒久措置案」を提出/企業の責任負担根拠を「道義的責任」に矮小化「因果関係」「企業責任」に及ぶことを避ける。事業を健康管理(検診)と重篤症状者への年金の2点に限定、5年契約更新で実施機関を設置、役員構成は、守る会が3割のみ議決権
★6月から「森永告発」全国への啓発及び組織化活動開始。「水俣告発」関係者の支援のもと、全国各地で数十名規模の集会を連続開催。関東圏でも、いち早く東大医学部学生などが動く。
★8.15 森永告発全国連絡会議が発足。(於:岡山)(岡大医学部、青山助教(当時)、太田、柳楽、学部生、尾瀬氏、国立小児医院小児科医長・日比逸郎氏など、数百名が参加(岡山))
★森永告発、日本生活協同組合連合会へも不買運動への参加を要請するが、回答得られず。
★日本生協連理事長が守る会第4回全国総会で「いざとなれば不売買運動に踏み切る用意がある」というが、守る会が踏み切っても、一向に踏み切らないので、森永告発、日本生協連へ抗議文提出
★「森永告発」対森永との交渉現場で守る会会員をバックアップ。「森永告発」の市民、森永製品全面不売買運動に全力で取り組む。ステッカー多種制作、宣伝活動を全国規模で展開。また「守る会」の交渉、裁判に支援部隊を送る。
★1971年5月から1977年12月まで実に6年以上にわたり、守る会機関紙「ひかり」の発送作業は、「森永告発」の能瀬英太郎が引き受けて行っていた。このような地味な作業を手伝う者はついに現れず、最後は能瀬氏が一人で行っている状態となった。
★森永、事件に対する基本的態度を決定と、朝日新聞夕刊に突如発表0816。全国のマスコミ、見出しで「森永、企業責任、因果関係を全面的に承認」「森永、守る会に前面降伏」などと「森永の姿勢転換」が大々的に報道されるがこれは森永が常用していたプロパガンダ。(世論偽装の陽動作戦、目的は守る会内部への攪乱目的の陽動作戦)。岡崎哲夫「常務会声明のどこをみても企業責任を全面的・無条件に認めるとの言葉は一言もない」、この点は巧妙に避けられ、むしろ報道との間に不気味なズレ有り。「マスコミが書き、読者が信ずる、しかもその結果の責任を森永が負うものではない。ここに恐るべきトリックが潜んでいる」(20年史)
★「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案」 成立 (8月20日)
★第十五回本部交渉(於、岡山大学)森永欠席、守る会民事訴訟、不買運動決議 (12月3日)森永は大野社長出席の約束を反故にし、一方的に交渉を打ち切り、退席して流会。守る会、第2回全国集会に切り替え、民事訴訟提起と、森永製品全面不売買運動を決議。(於、岡山大学)
★森永問題を考えるキリスト者の会結成 1.21
★徳島刑事裁判で検察側論告求刑─徳島地検、企業責任と救済に関する森永の不誠意を糾弾、最高刑を求刑。2.13
★森永告発、守る会家族と共に「森永不買」の大看板を制作、守る会全国本部(岡山市番町1-10-30 岡崎哲夫私宅)壁に県道に向けて掲示。
★日本小児科学会森永砒素ミルク調査特別委員会、学会総会に対して最終報告。後遺症を認め、14年間の空白をもたらした本学会の責任は重大との結論を明記 5.26
★森永告発『砒素ミルク2』(岡崎哲夫『森永ミルク事件史』の復刻)を刊行 8.10
★日本母親大会、森永製品不買決議
★第一波訴訟を大阪地裁に提訴 (4月10日) 第二波提訴岡山地裁 (8月24日)
★「守る会」全国本部(岡山市番町)、厚生省と交渉 9.15
★日本公衆衛生学会理事会「中毒疫学委員会」の報告書を承認 9.11
★森永乳業大野勇社長、会社が潰れても救済資金を出す、と厚生省に確約。
★山口敏夫厚生政務次官 守る会に会談を提案してくる。9.27
★守る会、厚生省、森永による三者会談開始(第1回三者会談)10.12
★第3派民事訴訟を高松地裁に提訴。11.24
★「森永告発」徳島裁判を全面支援
森永有罪判決
★森永有罪判決(徳島差し戻し審判決公判 被告人:森永徳島工場長は無罪、製造課長のみ禁固三年)判決は企業責任と行政責任にまで踏み込む画期的なもの。徳島裁判総決起全国集会(徳島)11.28
★第五回三者会談で森永の企業責任を認める確認書に調印 (12月23日)
森永は責任を認め、救済対策委員会の決定に従い、一切の義務と費用負担を確約、厚生省は積極的に行政協力をすることで合意し、確認書を作成、調印。
★財団法人ひかり協会設立許可される (4月25日)
★守る会、民事訴訟を全国一斉に取り下げ。不買運動の中止を要請 (5月24日)「新しい局面を迎えて」というパンフレット発行。 「守る会」は同パンフレットの中で、守る会、「国民の皆様が、こんごとも暖かい支援ときびしい監視を寄せて下さるよう心からお願い申し上げます」と、国民に対し、森永と基金双方への永続的監視を要請。機関紙では、当然ながら市民(一市民としての被害者の個人的行動を含む)には不買運動を続ける自由もある、と声明5.24
【評】あくまで「守る会」の組織活動として「不買運動」の終了を宣言しただけであり、今日見られるような、「被害者に森永製品の販売促進を呼びかけるような」異常な姿勢の正当化にはならない。
★宇井純氏主催「公害言論 自主講座第7学期」にて、岡崎哲夫「ひかり協会はどうにでも転びえるもの、国民からの監視が必須」と断言。組織的腐敗と癒着の可能性に言及。「ひかり協会」への国民的監視をよびかける 「恒久救済対策案は一時的な金銭獲得を目指したものではないので、中身を骨抜きにされると、被害者への補償は無いも同然となる危ういシステム。国民からの監視が必須」と明言 12.16
★守る会第41回拡大常任委員会(通称:松山合宿)/「救済とは、被害者を社会人として自立させるため、個々人の教育権、労働権、生活権等一切の生存権の回復をめざし、その発達を保障することである」との統一見解。(人権憲章)
★森永ミルク中毒事件発生第20周年記念日。守る会第7回全国総会(第20回定期総会)で『20年史』刊行を正式決議。8.24
★「守る会」能瀬英太郎氏を『20年史』編集委員に委嘱(委嘱状発行)
★自立作業農場用地「太陽の村」借入を決定(ひかり協会第22回常任理事会)守る会、会員・支援者に『太陽の村建設資金カンパ運動』で資金を集める)12.20
★『守る会20年史』(後の『森永砒素ミルク闘争二十年史』)の編集要綱を承認
1976年以降
「ひかり協会」変質が始まる
近年、メディアに加え党派機関紙まで動員して歴史歪曲が実行されている状況にかんがみ、これまで公開を控えていた事実経過を第一弾として掲載していく。
【事件史の後半を画する異常事態が表面化した年】
★『森永砒素ミルク闘争20年史』編集委員・能瀬英太郎は、原稿出稿をしない執筆予定者に督促を行う。 3月
★2月4日 計43頁に上る被害者家族からの批判的要求文書。財団法人ひかり協会の事業、発足から2年目にして、官僚主義と事業後退の現象があらわになり、全国の被害者家族から批判が噴出し始める
★「太陽の村」にプレハブ棟2棟を建設。重症被害者の作業施設・その後陶芸、農園、果樹園、宿泊施設など整備。 02.01
★守る会理事会、『森永砒素ミルク闘争20年史』は守る会そのものではなく、編集委員会が刊行したものであると豹変し、突如変更へ。 11.8
★「わかば教室」の好評にならって、広島で「もみじ教室」が開設。2.29
ひかり協会、会報第1号発行
★守る会、九州本部長、「守る会」は「守らぬ会」になったと脱会。新聞報道11.12
★第11回太陽の村建設委員会開催。守る会に加えて、太陽の会(被害者自身の会)、ひかり協会も正式委員が参加。「太陽の村」は、全国の被害者の交流、教育、労働の場として活用することを決定。11.23 後に豹変し、廃村を決定。
★三木首相退陣表明、福田・春日会談に森永乳業大野勇社長出席(報道)【評価】政界への食い込みが尋常でなかったことを物語るエピソード
★「弔問活動」活発化 黒川─森永の直接「個人契約」という極めて不可解で実態不明な「事業」が始まる。 守る会会員の被害者の死亡ケースしか対応しないという公益性欠如の姿勢。
★井上周次氏問題 死亡被害者家族に嫌がらせ電話
1977年「ひかり協会」財務の私物化が露見
★森永ヒ素ミルク中毒についての研究・調査に関する請願書(陳情書)01.09
★第80回国会参議員社会労働委員会に出席
★『森永砒素ミルク闘争二十年史』発刊 「守る会」の幹部の多くが、宇井氏が出稿しているから(※)といった主張や、その他不可解な理由をつけて原稿出稿を拒否。
※「ひかり協会」役員の変質と退廃が顕著となる/専従者への給料の数か月に及ぶ不払いが発生。特定個人への嫌がらせ。苦情に対して、ひかり協会岡山財政担当荒木氏は、「黒川のところへ行け」「お偉いのがおるから」と発言。さらに、黒川は「(給料がほしければ)俺のところへ来い」と発言。
【評】組織の裏で、財務の私物化の実体が露見。夜郎自大が跋扈する実態が表面化。この種の親と組んで、これを鉄砲弾として使いながら森永にとっての障害物を粛清する準備を開始した民主集中制の動きが顕著となり、数年以内に明らかとなる。財団法人組織の自浄能力のなさも露見。
★岡崎幸子、守る会理事長、副理事長宛、予算に計上された金額が実施されない異常について申入れ
★岡崎幸子 財政担当理事・荒木敏夫宛文書で「報酬問題での約束不履行の理由を問う」を発行
★森永告発への対応について、細川一真、大槻高の案が登場
★萩原民事訴訟公判 10.21
★谷川正彦氏から守る会への要求書(抗議文) 11.26
★毎日新聞記事、「孤独な闘いに強い味方」(萩原訴訟関連記事)12.18
★【萩原訴訟】朝日、毎日、読売、サンケイ、徳島新聞「ひかり協会に疑問 森永ミルク中毒訴訟 徳島県の夫妻」
森永ミルク中毒 孤独の訴訟弁護団が支援 娘亡くし自らも後遺症 三加茂の萩原さん 補償2億円を要求 徳島地裁に準備書面 不完全救済も糾弾」(6段)
朝日新聞「ひかり協会に疑問 森永ヒ素ミルク中毒訴訟 徳島県の夫妻 地裁へ準備書面 会社・国の隠みの」(4段)
★萩原訴訟に対する守る会の見解と態度を発表。異論へ背を向け始める。
★森永告発、解決幻想を突き破れ、森永・国に痛撃を 4.11
★萩原訴訟と森永告発についての情報収集で、共産視点からの政治的バイアスがかかった情報の流通が始まる。
★毎日新聞「守る会、国際消費者機構を舞台に訴え」報道
★岡崎哲夫への粛清(追い落とし)工作が急始動
1979年ロンドン開催「第9回国際消費者機構大会」のメッセージを消費者連盟から依頼され、託したところ、突如「組織規律違反」の幼稚な糾弾が開始され、事務局長退任に追い込まれる。 黒川克己・大槻高の合作。
岡崎哲夫、守る会事務局長の辞任に追い込まれる 6.24
岡崎哲夫、日本消費者連盟にメッセージの件、白紙還元の報告 6.25
★岡崎哲夫、抗議文書発信
「6月24日臨時常任理事会の『人民裁判』的決定について」
岡崎哲夫、守る会事務局長として最後の文書「守る会発第2095─事務連絡」
10.23 機関紙『ひかり』第115号4面記事(被害者組織)に関する会員からの抗議文寄せられる。
守る会機関紙「ひかり」発行責任者 理事長・岩月祝一殿
被害者の親F氏「ひかり」115号4面掲載記事「除名にいたるまでの経過」 に息子の名前が出ていることに対する抗議。
死亡被害者の親、森永乳業会長・大野勇に要求書 11.24
12月から森永乳業と守る会、月一回定期的に会い始める。
守る会、協会、混沌状態に… ひかり協会設立から4年目で、被害者団体も子飼い化へ。
12.1 「ひかり」大阪本部機関紙第36号
被害者の会組織(被害者本人の会)~被害者本人に対する大量除名(一種の粛清的政治弾圧)発生
「被害者の会の件・広報部」処分問題について、その経過と背景的情報を記します。 イ.昨年8/28総会で採決拒否で退場した13名、権利停止3月だったが、反省の色なしで無期限、今年8/6に除名。ロ.詳細に見ると不合理。釈明も弁明も聞かず、恣意的に決定。処分者の中から代表が再三会を訪れても放り出した。ハ.守る会全国本部、大阪府本部からも和解の働きかけなし。全国版ひかりには一部個人名をあげて、非難攻撃している。ニ.被処分者の言い分もありそれは部外者にも納得いく部分もある。
★1.15 大阪府本部機関紙『ひかり第36号』に対する常任理事会議案
被害者組織における大規模「粛清」を容認
…大阪府本部機関紙第36号は、広報部の名をもって上記方針とは大きく異なる記事で編集され、これが他の都府県本部にも配布されました。大衆的な組織である以上、会員の中に異なる意見はあり得ますが、それは規約に基づき正規の機関で討論すべきであり、組織のルールに沿って正しく解決をはかるべきであります。これを抜きにすることは異なる意見を組織に優先させることとなり、全国単一の組織である守る会の組織原則を逸脱するものと言わねばなりません。…
森永ミルク中毒のこどもを守る会理事長・岩月祝一
★ひかり協会、「わかば教室」への支援を突然中止。1978-1979
★守る会常任理事会に関する「経過と内容」なる文書が多発
★森永告発、「守る会の皆さんに訴えます」文書発信。
★太陽の村 宿泊棟落成式→ひかり協会へ移譲
★日本共産党9中総 新ナショナルセンター対策 宮本謙治 統一労組懇オルグ全力投入
★マヌーバー露骨化 守る会と森永との「連絡会」継続
★丸山博、『20年史』寄稿辞退を陳謝するハガキを岡崎哲夫宛て出す。
★ひかり協会の主な事業内容別財務分析とグラフ化資料が登場 財務処理の恣意的処理の実体が見える化される。8.6
★岡崎哲夫(全国本部事務局解任から1年3か月後)、守る会岡山県本部第12回定期総会議案を発行
情勢認識「守る会会員の増員より減員が上回った事実を指摘。会員の認識が恒久救済対策案以前の段階にあることを指摘。協会は発足7年を迎えて組織的には安定したが、わかば教室の方針転換による不安と自立教育への太陽の村への要望、一方で、マスコミの森永企業危機の宣伝と協会自主運営論議の発生。」 社会復帰へ一歩でも近づける運動を呼びかける。「太陽の村」復帰施設の設置への運動を呼びかける。「症状別対策」では、個人により千差万別な被害に細かく寄り添って、外見ではわからない体調の疲労などを持ち続けている軽症・中症の被害者に対応するための体制、協会、役員任せにして引っ込み思案になりがちな親に対して、子供の社会的自立への希望と夢を呼び起こす」
被害者本人の組織について。
1.「ともすれば、せつな的快楽におぼれやすく、大地にしっかりと足を踏まえた生活と、衆人のために社会悪を進んで是正していく気概に欠けていると言われますが、我々守る会は、大切なわが子に、守る会が通ってきた炎のような気迫と教訓を正しく伝える」
2.「単に金銭給付のみを主眼にした人達への議論はいまさら不要。親としての責任と、被害を受けたわが子に対しての義務とを誠実に履行する会員だけでいい。しかし、守る会運動への正しい理解もなく、協会の救済事業も全く知らぬまま、依然として悩み苦しんでいる人たちがいることも事実」
3.「守る会は協会を通じて被害者を救済していく。組織をあげて、一定の政党、政治理念に属するものではありません。思想や信条の押しつけ、そのために困る人があっても顧みないといった主義、団体とは厳然と一線を画さねばなりません。」
【評】岡崎の中にはまだ「ひかり協会」「守る会」の異常は一部幹部の自然発生的な官僚化腐敗現象であるとの見方をしている。(協会が発足したてで、そう考えるのも無理はない)組織の是正が、努力次第で可能であるとの期待があったようだ。守る会組織内部の腐敗の背後に、被買収者と党派関係者がいることには気づき始めているが、加害企業・森永の意図と連携した民主集中制が戦略的に動いていることへの危機感は少し薄い。シベリア抑留でスターリン主義の狂信を体験している同人も、現代日本における民主集中制の本質とマヌーバーへの警戒は薄い。同胞がここまでの裏切りを実行するとは信じたくなかったという内心が伺える。しかし1.2.3.はいずれも失敗に終わる。
★毎日新聞、「施設建設計画2億円かけて」(太陽の村 社会福祉法人化(めざす)10.6
★第2回常任理事会メモ、「黒川、北村がいるとものが言えない」との意見
★規約改正案が頻繁に登場
★岡崎哲夫、「ひかり協会職員労組へのメッセージ」内容
【評】この組織が政治的ツールとして粛清に使われることをこの時点では想像できていないからか、素直に祝福のメッセージを送っている。
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★この年から、広島の重症被害者の親で「ひかり協会」のあり方を批判していた山田氏の動き(行政やメディア、その他への陳情)に関する細かな素行記録がつけられる。その後、実に9年間にわたり記録され、メモは後年ばらまかれ、本人が入手するに至って発覚。山田氏は、愛嬢に対する救済の放置と併せて、広島県弁護士会人権擁護委員会へ救済申し立てを行った。
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★「ひかり協会」職員が、岡山の重症被害者に対し、差別暴言。一部始終が記録され、後日(2003年)、岡山県弁護士会人権擁護委員会へ救済申し立て
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★故・中坊公平氏、NHK刊行『野戦の指揮官 中坊公平』で、森永事件史を歪曲する発言を開始、拡散/「森永の被害者はそれなりによくしてもらって森永に感謝している」云々
★森永乳業・顧問:菊池孝生氏が歴史歪曲発言/故・中坊公平氏との対談で、要旨「ヒ素中毒による後遺症は中間管理職が握りつぶしていたから、上部の者は知らなかった」などと雑誌で公言。
★「被害者を守る会」が要旨「意見が違うから」との理由で会員の親の総会出席を妨害/「被害者を守る会」が、異論排除を当然のごとく報道機関に公言。意見が違う者には参加させないシステムであることを自ら認める。
★重症被害者家族が「ひかり協会」らが人権侵害をしているとして岡山弁護士会へ人権救済申し立て。
★重症被害者の親が、「ひかり協会」の救済対策が不十分であり、抗議したら、素行記録をばらまかれるなどの嫌がらせを受けた、として広島弁護士会へ人権救済申し立て。 07.09
★巨額横領事件で森永乳業・元課長代理逮捕される 販促費詐取容疑。警視庁は2001年末から06年3月まで計約1億5000万円を詐取したと追及。横領した金は車や愛人に充てたとの自白。
★「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が機関紙に「報道ガイドライン」なるものを掲載、被害者の自由な意見表明を抑圧。[記事1][記事2]
2022年からの大阪訴訟で、この「関西テレビ」の番組に森永乳業側代表として登場した菊地孝生(渉外部長から専務へ昇格、元職)の発言内容が重大な争点となる。とくに番組のなかで、中坊公平元弁護士との関係で菊地が語った要旨「時効は成立していない、会社に不満があればいつでも裁判を起こしてもらって構わない」の発言。これは同社の時効援用を無効にする重大発言として裁判で原告側が証拠として採用。ところがこれを受けて、森永乳業は要旨「会社を代表して出演したものではない、会社の見解をのべたものではない」と一転、否定。
★岡山の市民・能瀬英太郎氏が被害者団体を告訴
重症被害者家族の支援を行っていた岡山の市民・能瀬英太郎氏を、被害者団体「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が、その機関紙1面全面を使って誹謗中傷したことへの対抗措置。公判の公文書中で、被害者団体は重症被害者を「働かない被害者」と放言し、「関西テレビ」の『ドキュメンタリー』(DVD)を「被害者が被告に感謝している証拠」として地裁に提出。メディアを利用した、加害企業との合作プロパガンダの意図が鮮明に。→2012年3月26日 岡山地裁で被告・被害者団体の不法行為が認定される。
「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が「能瀬訴訟」での公判文書に、重症被害者を「働かない被害者」と書く。
能瀬訴訟控訴審で、被告・被害者団体の不法行為が認定され賠償命令。
広島高裁は被害者団体の控訴を棄却し、加えて有罪判決を補強
→その後、被告「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」の不法行為が確定する。
「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が隠していた重症被害者への補償水準の実態が、統計情報とともに公になる。能瀬英太郎による告発のレポート。
森永乳業社員、痴漢で逮捕 西宮・阪急電車内で/兵庫
森永乳業の牛乳「まきばの空」「生乳だけでつくった北海道限定低脂肪牛乳」「牛乳だけで作りました低脂肪牛乳」「リプトンミルクティー」(2種)
北海道保証牛乳株式会社「小樽工場初こだわり低脂肪牛乳」「北海道牧場のさわやか」製造設備の不具合による賞味期限内の風味劣化でリコール
森永乳業、毎日新聞編集委員・小島正美氏をスカウト、CSR報告書で自社礼賛させ「マスコミを取り込め」と号令かけさせる。同年、同氏、原子力学会広報誌で “新聞記者は反文明的気質人種“ と放言。同年、同氏、「日本乳業協会」の理事におさまる。
2013年 公益財団法人ひかり協会理事長 病院経営破産で逃亡中との告発&報道。ひかり協会の対応、長期間、見られず
重症被害者の高齢の親が、森永・国・ひかり協会。守る会の4社を提訴(のち訴訟取り下げ)
厚労省職員、森永事件被害者名簿455人分を電車網棚に放り上げて紛失
厚労省職員不祥事事件、森永ヒ素ミルク中毒事件資料館が、厚労省宛に3回の公開質問。その最後で厚労省、被害者の累積死亡数を初公開
「森永牛乳」(瓶入り)カルキ臭でリコール
2月16日 森永乳業・福島工場: 体挟まれ男性死亡
8月23日 森永乳業・神戸工場: 機械に挟まれ作業員死亡
森永乳業創業100周年
森永乳業の健康食品通販サイトにて顧客情報流出、カード情報とセットの流出は最大29,773名、カード情報以外の個人情報は、最大63,049名。4月
森永乳業グループの横浜乳業株式会社で製造の「濃密ギリシャヨーグルトパルテノ プレーン加糖」で大腸菌群汚染。10月
「森永の焼プリン140g」に金属粉混入、153,901個リコール 12月
コロナ自粛期間中に、現場社員には自粛を要求して幹部だけはゴルフ三昧。東京都で森永乳業の宮原道夫会長、大貫陽一社長を含む幹部29人がゴルフコンペを開催。
★森永乳業、「大腸環境実態調査」発表、九州の住民に不快感を与えた件。21年度風邪をひきやすい県日本一として佐賀県、自身の便の臭いが気になる人が多い県日本一として「福岡県」、発酵食品の摂取頻度が最下位として「沖縄県」をあげる。1月
★コロナ自粛期間中の森永乳業幹部社員のゴルフコンペ問題で、森永ヒ素ミルク中毒事件資料館へ内部告発、岡山県庁記者クラブで会見、厚労省などに公開質問状。岡山メディアは報道せず、経済誌『ZAITEN』が報道。2月
★森永乳業グループの横浜乳業株式会社で製造の「トリプルヨーグルト砂糖不使用 カップ製品100g」で大腸菌群陽性の可能性。5月
★大阪在住の重症被害者女性が森永乳業を相手取って5500万円の損害賠償請求訴訟を提起 5月25日
★森永乳業「フィラデルフィアme6p クリームチーズ&ピスタチオ」金属小片混入にの疑いで回収
森永ヒ素ミルク中毒事件、大阪訴訟、控訴審証人尋問
大阪訴訟弁護団『森永ヒ素ミルク中毒事件 大阪訴訟一審記録 重症被害者の人権と尊厳を侵犯する森永乳業と財団法人ひかり協会の虚構』を刊行[記事1] 07.10
森永乳業、アイスクリーム価格カルテルの疑いで、公正取引委員会から検査を受ける。 06.16
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident