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記事タイトル

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2025年6月7日 11:58
森永乳業は、腐りかけの原料を使った粉ミルクに、当時でさえ食品へは違法薬物であった過酸化水素水を入れ、さらに産業廃棄物由来の無規格品のヒ素混じり化学物質・第二燐酸ソーダを放り込んで、乾燥して粉にし、栄養価の高い優れた「粉ミルク」と称して母親を騙しながら売り、大量の被害者を生み出した。
かれらの市場のおける戦略目的は他社市場を奪うことに加えて、母親の「母乳育児」を社会から駆逐すること。
母乳育児が減るほど、粉ミルクは売れる。神秘を解明した我が社の粉ミルクは母乳より素晴らしいか? 今では健康食品でも広く乱用されているフレーズだ。
ここであらかじめお断りしておくが、私は、絶対100%母乳育児であるべきだという主張はしない。人には様々な事情があるからどう育てるかは基本、自由だ。問題は「母乳育児」に「粉ミルク」を対置させて「粉ミルク漬け」にし、低質な粉ミルクを化学物質で粉飾して騙して買わせ、そのうえ、赤ん坊を死に至らしめても、未だに真摯な責任を取ろうとしない森永乳業の特異的な体質を問題にしている。
ただ、今後お知らせするが、森永の御用学者を続け、被害児への口汚いののしりを行い、いざ救済運動と世論が高まり、自分の旗色が悪くなると、一転、「母乳育児の権威」に鞍替えした岡山の有名医師も知っている。このような嘘にまみれた状況下で、本当に母親の実情を踏まえた母乳育児への適切なフォローが、母親目線で行われているとは思えない…。これについても、おいおい明らかにしていきた。
いずれにしても、森永は、事件の責任から逃亡し、国を操って被害児の親を20年間にわたり叩き続けた。そのうち約13年間はメディアを操作することで、事件を社会から完全に抹殺した。あらゆる工作で多くの親をたらしこみ、家族を狂わせた。
さらに国及び厚生省は、陰に隠れた森永の代わりに、国民の前面に立って、被害児を20年間、医療ケアから排除した。その結果、被害者に対して、不可逆的な後遺症群を一生にわたり背負わせる巨大な罪を働いた。
※事件解説↓
14年目にはメディアが過去を反省して再報道を開始したが、森永はなんとも思っていなかった。報道されようがされまいが、あくまで運動をつぶす気であった。不買運動で自社の経営が傾き倒産の危機に追い込まれたから、しぶしぶ「恒久救済対策案」に合意しただけだ。その経過をみるだけでも、この企業の真の反省が無いことがわかる。
国と森永乳業の合作による圧殺期間は、20年では済まず、もしかしたら30年か、或いは50年か、それ以上かもしれなかった。
そんな会社が、第一次被害者圧殺期(1955ー1974)の真っ最中1967年に社史で「母乳の神秘」を語るわけだ。
※第二次被害者圧殺期は傀儡勢力による支配を前提としている(1976ー現在迄 ひかり協会は1974年の発足から、およそ2年で変質している。その後の10年、被害者の親の団体「子どもを守る会」内部での抵抗闘争が続いたが1986年ついに「守る会」創建者への粛清が完了し、息の根がとめられた。)
ヒ素で大量の赤ん坊を死なせたのも、「科学的裏付け」があってのことなのだろう。それに関しては未だに「口にチャック」だ。
森永は細菌と戦ったというが、森永乳業が最も戦った相手は、まぎれもなく、被害者の親だ。赤ん坊もその親も、自社にたてついた時点で、バクテリアくらいにしか思っていなかったのだろう。
文中に登場する「10円牛乳事件」もいろいろと裏があるが、またの機会に。
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1955年、原乳の腐敗を隠すため産廃由来のヒ素混入物質を投入した森永乳業の粉ミルクで130人以上の乳児死亡、1万3千人の患者。反省なき森永は国を使って20年に亘り救済運動を弾圧。不買運動で倒産寸前となった森永は渋々救済案に応じるが、以降も不正な工作を続け2022年再び提訴された。
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森永と電通ー悪魔の対談 その5 「ついに解かれた母乳の神秘」 “広告は効果抜群”|森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥
https://note.com/no_more_morinaga/n/nd976f0a4a523