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記事タイトル

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2025年6月16日 19:44
日本の官僚は過ちを認めないので敢えて書く。
『森永ミルク事件史』(岡崎哲夫 1957年)の149頁「森永奉仕会」の項に、このような記載がある。
廃棄すると宣言した粉ミルクを、再販売して、全国の大学に、森永の冠(かんむり)をつけた研究資金をばらまくなど、正気の沙汰ではない。
内閣府が、この事実を認めると、国が森永と共謀して主体的かつ計画的に、「既にミルク中毒事件で判明している毒物を、明確な意図をもって市場に再流通させた行為」となり、「故意」による犯罪である。
国が「故意に」ヒ素ミルクを「鶏肉や卵」を通じて広く国民の体内に摂取させた可能性があるからだ。


報告書の平成18年は2006年。事件から51年たって、内閣府は新しい責任逃れを思いついたようだ。
上掲のレポートの注釈を細かく読む。
と書いている。
この「残り」とは…、漫然と読んでいると…、あたかも「回収缶-有毒缶=無毒缶」なる引き算が存在するかのような想起をさせる。このような“印象”が残る。だが、ミソは、「明確・正確にそう書いているわけではない」という点だ。なんとなく「そういう印象」が残るようにしているだけだ。
つまりこの書き手は「ヒ素ミルク缶として回収した695,740缶を一缶ごと開封して検査したことにしよう。“有毒缶”と“無毒缶”を一個単位まで特定したことにしよう。そこから割り出された“無毒缶”に限って飼料に回したことにしよう。だが真実・根拠を追求されると困る。だから詳細不明ってことにしておこう」…。
官僚が思いつきそうなレトリックだが、よくもこんな類の話を、乳児大量殺害史の国の公文書に平気で書くものだ。
そんなに責任逃れをしたいのなら、すべての一次情報を漏れなく国民の前に公開すればいい。
加害企業に加担して闇で不正をやった側の国が「詳細不明」といいつつ、「迷宮入り」にして「責任逃れ」の「印象」だけをガセネタで残し拡散する。「不正の上塗り」だ。
だが、こんな嘘は一刻も早くやめて頂きたい。
食品安全委員会「自身」がこの報告書で【参考文献】として挙げているものに<浜本英次編『岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録』岡山県衛生部1957年>があるが、この記録本に岡山県の行政官が、回収ヒ素ミルク缶の「回送」を明確に記載しているのだ。さらに強調しておくと、この時の岡山県知事・三木行治(みき・ゆきはる)は、厚生省からの落下傘であり、その傘下の行政官が「当然のことのように」記載している。


同じ役所が書いた記録にも「知らないふり」をする現・内閣府の姿勢も驚きだ。この事実に関して、意地でも「詳細不明」と書いているところ、むしろ内閣府の内心があからさまになっている。
これにつながる話を少しでも認めると、財団法人として現在も存続している『森永奉仕会』の存続責任を誰かが取らなければならなくなる。だから、あいまい化するしかないのだろうが、それは、もはや通用しない。
この飼料を食わされた養鶏場の鶏は、岡山県でヒ素中毒症状と同じような症状を呈して、死亡している。ヒ素を食わされて、とりあえず死なずに出荷された鶏や卵は、数知れずだろう。この詳細もいずれまた追加記載したい。
国・厚生省(現:厚労省)は森永にどっぷり浸かり過ぎている。
『森永乳業五十年史』は、「森永奉仕会」の設立がよほどうれしかったのだろう。詳細に解説を掲載している。
なにせ、森永が乳児殺戮の大事件を引き起こしたら、それをいさめ、罰するべき国が、いったいどこに間違ってスイッチが入ったのか、国家をあげて森永の弁護に向かい、厚生省は森永応援団長となり、八面六臂の「大活躍」を開始、森永の企業防衛と、その更なる膨張へのテコ入れまで始めたのだから。
あろうことか、被害乳児を圧殺しながら、同時に莫大な資金を「森永奉仕会」の設立にあて、その趣旨に「森永乳業株式会社はMF事件を契機に、将来この種の不祥事件の発生を防ぎ、乳幼児の栄養の向上を図るための研究機関の設置を意図した。」などと書いている。
実際、森永乳業は、それまで以上に医者との人脈の大構築を開始できたのだ。乳児殺しをその後の社業隆盛へのテコに変えてしまう悪魔性としかいいようがない。再び引用する。
被害児圧殺の手法のほとんどを、自分から活字にして公開・自慢することをはばからない企業が森永乳業だ。
ちなみにヒトラー式宣伝技術によると、「庶民はいつも細事に追われているから、大きな嘘には無防備で、すぐに信じてしまう」らしい。だから「嘘をつくときは大きな嘘をつけ」らしい。古今東西の詐欺師の手口でもある。
犯罪も開き直って自慢すれば、世間は思考停止になるだろう、とタカをくくったか? 実際、今では公益財団法人に昇格までして「森永奉仕会」は継続しているので、この宣伝方法は、効果があった。
昭和30年の大卒初任給は1万1000円だから、現在の大卒初任給約24万円の約21分の一。
つまりこの時の実金額を21倍すると現在の貨幣価値の感覚になる。
この森永の研究費ばらまき基金は、元手が3千万円(現在価値で約6億3千万円)から11年間で1億円(現在価値で約24億円)に膨らんだことになる。
例えば、日本小児科学会は昭和31年から昭和41年までの11年間に1,858万円、現在価値で約3億9千万円を頂いたことになる。件数は199件で、その下にぶら下がる医者はものすごい数になる。森永の奴隷になるはずだ。
後遺症に苦しむ乳児を封殺・放置して、小児科学会はいったい何を研究したのだろうか?
森永乳業は、被害児の後遺症追跡も補償もせずに、ひたすら日本中の国公私立の大学医学部や行政機関、国立研究機関に資金をばらまいている。すでに、その下にぶら下がる多くの弟子たち一切が、森永に対してモノが言えぬ社会になっている。
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1955年、原乳の腐敗を隠すため産廃由来のヒ素混入物質を投入した森永乳業の粉ミルクで130人以上の乳児死亡、1万3千人の患者。反省なき森永は国を使って20年に亘り救済運動を弾圧。不買運動で倒産寸前となった森永は渋々救済案に応じるが、以降も不正な工作を続け2022年再び提訴された。
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今もある(公財)「森永奉仕会」 元手は回収したヒ素ミルク缶を再販売した売上|森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥
https://note.com/no_more_morinaga/n/nb163e873ebd6