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口封じ⑩ー「ひさしを借りて母屋を取る」─森永ヒ素ミルク事件と党派介入の実態

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口封じ⑩ー「ひさしを借りて母屋を取る」─森永ヒ素ミルク事件と党派介入の実態

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥

2026年8月19日 18:27

『ひかりと影と 森永ヒ素ミルク中毒事件と被害者運動』(能瀬英太郎著2021)より

……(前略)……
とはいうものの、重症者の多くは精神障害や知的障害をもつものだから、被害者本人からの不満はよせられないのが実情である。親は高齢になりこのようなカラクリに関心をよせるより、総額で受け取る額が増えれば、基準の出所がどこであれ文句はないのかもしれない。
 関心をもって不満を主張すると岡崎のような仕打ちをうける。そこまでして生活手当の額をケチってまで出費を抑えて誰が得をするのだろう。

 協会の必要経費はすべて森永が負担することになっているのだが、結果的に協会予算が減ることで一番喜ぶのは森永ということなのだろう。

…中略…

六、庇を借りて母屋をとる

「分派活動」をしたとして1986年6月1日をもって岡崎は守る会 (ひ素会)から除名処分を受けた。その年の総会で代読してもらう予定で書いた原稿を少し先回りであるが、紹介する。

  ・・・私は、執行部の一部より根拠のない中傷をされ大きな損害を受けました。 執行部は、その誤りを認めながら、加害行為の誠実な処理を回避しています。恒久対策案を骨抜きにし、被害被害者主権をふみにじり、真の救済でなく、規定を優先させる官僚主義に固まっています。 
 なぜ、このような末期的現象が起きたのか?  体質的に独裁的で、自己の特定党派支配に都合の悪い意見や行動を一切排除する「有能」な政党員と、保身第一にそれに追従する、ほんの一握りの勢力が、権力と金力と結合して猛威をふるっているから、ではないのでしょうか。特定政党員の支配、弾圧のもとに、言論・行動の自由が一切ないところでの現状改革は不可能です。(例えば、私に対する批判中傷記事は機関紙「ひかり」に何面にも亘って特集するが、私の意見は一行も載せない。どこかの国そっくりの体制!本来なら、私の意見を全部「ひかり」 に掲載・公表させ、全会員の意見を結集して決めるべき処分があれば決めるべきである。それをしない所が、特定政党員の「有能」なる理由です。)
 ひさしを貸したばかりに奪われたおもやを取りかえし、自由と友愛の中で活躍できた、昔日の森永ミルク中毒のこどもを守る会が再建されました。この明るさと民主性に我慢ならない党派人は、救済とは別の本命を持つ異質の人です。 (「守る会文書」)

  この原稿は岡山県本部代表に托されていたが、「反論権を認める」と除名通告には書かれていながら、代読する時間はあたえられなかった。 この中で岡崎が「ひさしを貸した」という語句を使っているが、誰に庇を貸したのかが問題になる。……(中略)……が○共と云い、岡崎が特定党派といっているのは日本共産党を指していることは間違いなかろう。

 しかし、本当にそうなのか、○共が大企業を目の敵のように批判することを私たちは知っている。革命で政権を転覆させることはあっても、大企業と癒着して被害者を困らせるようなことをする筈がないと信じたいが......。

 守る会が「十四年目の訪問」(丸山報告)の2年前に、岡山で薬害対策協議会へ参加したことによって自主検診への道が開かれた。検診を引受けてくれたのは、倉敷市の水島協同病院で民医連に属していた。当時は「藁にもすがりたい」状況にあったので、病院を選ぶ余裕などなかった。岡崎は自主検診実施を常に恩義に感じていたので、守る会事務局長として民医連大会へのメッセージでは毎回それに言及している。

「・・・丸山報告以前の暗黒と苦難の状況の中に貴連合会が組織を挙げてお取組みいただき、それ以後、今日の状勢を作り出す闘いにおいて、先駆的役割をはたされましたことを、私達は永く忘れぬところとして、深く心に蔵しております。」(岡山県民主医療機関連合会第13回定期総会へのメッセージ 1976年)

…中略…
 
 協会岡山事務所では一般から採用した職員が長続きせず、その理由として「共産党へ入党を強要されるので、それが嫌で辞める」と守る会会員の間で評判になっていた。私はその真偽を確かめるために、日本共産党本部へEメールを送った。「このような噂があるが、それほど協会に影響力があるのなら、もっと被害者側に立った施策を進めてもらいたい」という意味のものだった。 回答がくるとは思っていなかったが、「協会はよくやっている」という返事がきた。入党勧誘についてはあえて否定はしなかった。

 他府県においても、協会職員の確保は岡山県と似たりよったりだ。所長は非常勤(のちに常勤となる)で守る会各県本部の役員が就任していた。職員は民医連から派遣してもらうことが多かった。

 愛媛県事務所でも民医連から推薦された人を不採用にしたところ、四国民主医療機関愛媛ブロック会議議長から抗議文が届いたのは1976年5月のことだ。守る会理事長とひかり協会理事長宛ての「申入書」で、不適格の理由を知らせるようにという強硬な文面だった。結局愛媛事務所が採用したので事態は収拾された。(「守る会文書」の中にある。)

 広島事務所は愛媛とは逆のケースがあった。守る会広島県本部が職員として推薦した人は採用されず、協会広島事務所が推薦した人が採用された。この職員を不適当とした守る会広島県本部が、再三協会本部へ抗議をしたが受入れられなかった。
 
 森永との交渉が15回目で決裂して、守る会が森永製品不買運動を開始したことは既に書いた。守る会が各地の団体に不買運動への協力を求めた時期に、医療生協民医連水島協同病院はそれに反することをやっていた。同病院で出産した母親に、森永乳業と水島協同病院の名前が入ったアルバムを配っていた。岡大医学部の青山英康助教授は民医連の金儲け主義について、次のように書いている。

…財政的にも、これら民医連は「守る会」とは独立して、加害企業森永に検診費用を要求し、交通事故なみに一点十五円で検診費用を受け取り、検診費用を負担していた患者には一点十円を払い戻しているのに対して一方のグループは、全くの手弁当での参加を終始一貫守り通した。(「二十年史」)

 森永と民医連は1971年4月に会談をして民医連代表佐藤義詮と森永代表古田盛三の間で合意したことを議事録に残している。
 この中で「会社側は合計478件8,796,551円の検診費用について検討したうえこの額及び内容で決定されれば、各院所の取引銀行にこの額を振り込むことになると答え、民医連の側はこれを了承した。」 そのほか「引きつづき話合いをもつことを双方同意した」とあるが、検診費用を受け取ったあとで、引続きどんなことを話合うのか気になる。

 この検診費用は時期的にみて、薬害対策協議会の紹介で行った岡山での自主検診の費用であろう。これはすで守る会会員から病院に支払い済みである。それを改めて交渉してとり、実費を会員に戻してピンハネまでやるとは、いやはや商売上手というか。
 青山のいう「もう一方のグループ」とは岡大医学部衛生学教室のことである。この事件では最初で最後となる「疫学調査」を、広島県瀬野川町で実施した。

 結論として砒素ミルク飲用者に統計的に明らかな差が認められる項目として、発育・発達上の遅延、学業成績や疫病罹患率への影響、皮膚異常、視力低下、脳波異常等十項目と、看過ごすことの出来ない問題点として十一項目が上げられている。(前掲書)

 この「瀬野川町における疫学調査」では、岡大医学部の他の教室からは協力が得られず、広島大学と茨城大学の協力で実施された。この調査に教室の予算を使いすぎたため、以後3年間衛生学教室は予算配分を停止されしまった。

 森永はもう一方の生協連との関係も大事だとみえて、守る会と本部交渉をやっていた時には、交渉経過をその都度報告していた。1972年10月には日本生活協同組合連合会理事中林貞男宛てに、大野勇から「…さて森永ミルク中毒のこどもを守る会と弊社の交渉につきましては、これまでも担当の者から貴会へご説明申し上げてまいりましたが、先の9月24日の本部交渉におきましても弊社は今後の交渉を円滑かつ速やかに進めるため、これまでの因果関係不明の立場を離れて、個々の問題についての法的関係は別として因果関係を認める立場にたって、現在実施中の暫定措置に代わる措置の作成、実施についてのお話合いをさせていただきたいと御提案申し上げましたが、守る会の納得されるところとなりませんでした。」(「守る会文書」)と報告している。

 しかし、この日の交渉を報じた新聞各紙の記事を見ると「森永、企業責任を拒否」(朝日)「大野社長初めて出席、法的因果関係ない 森永あいまいな回答」(中国)と大野が生協連へ報告したことは矛盾した自己弁護であることが分かる。当時、他のスーパーマーケットの規模はまだ小さく、生協といえば巨大な流通機構であったので生協の論理より資本の論理で動いていた側面の方が顕著であった。1985年からは生協連の役員がひかり協会理事として加わることになった。
……(後略)……

能瀬英太郎著 『ひかりと影と 森永ヒ素ミルク中毒事件と被害者運動』

2021年1月1日発行     本文は縦書き。液晶画面で読み易いように岡崎が改行、段落を調整した。 

以上

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森永ヒ素ミルク中毒事件資料館  岡崎久弥

森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥

https://morinaga-arsenic.jp/ 1955年原乳腐敗を隠すため産廃由来のヒ素混入物質を入れた森永乳業粉ミルクで130人以上の乳児死亡1万3千人の患者。森永は国を使い20年間救済運動を弾圧。不買運動で渋々救済案に応じるが不正な工作を続け2022年提訴された。

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口封じ⑩ー「ひさしを借りて母屋を取る」─森永ヒ素ミルク事件と党派介入の実態|森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥

https://note.com/no_more_morinaga/n/n3edc303ca64f

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1.WHO  [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート   [1]    [2]      [3]    /   WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求  [1]   粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である  [ 2 ]     [3]   / 2.United Nations University Press    [国際連合大学出版]  技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件      [English Version]  [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version]   [1]        [2]  

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