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記事タイトル

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2025年6月11日 21:34
太平洋戦争中、戦時宣伝技術を軍部に指南していた、このような森永のプロパガンダ。国民を騙して戦争へ引きずり込んだ宣伝・煽動の技術を、自社の大量殺人の隠蔽に使う恐るべき感覚。こういう企業が磨きをかける宣伝技術は、次の悲劇をも引き寄せるだろう。
事件発生後1年以内で131人の死亡乳児、いまやその数、少なくとも1763人※にのぼっている森永ヒ素ミルク中毒事件の死亡被害者の御霊は、天上から、この者たちと、加害企業への忖度集団と化した者たちをどう見ているだろうか。(2025年3月末現在/厚生労働省※1)
この国の人々が、その意志に反して誘導される事態の到来を恐れる。
「森永と電通─悪魔の対談」はこれで終了するが、この社史『森永乳業五十年史』には悪魔が行列をなして登場する。しかも、それは今に続く系譜がある。次の「悪魔」は阪大小児科の権威・西沢義人教授の弁だ。リライトをしながら、引き続き掲載を続ける。
(※1 但し、正確な実態を反映しているかどうかは不明な数字である)
冒頭写真:事件発生の1955年の年末に岡山市中心部の商店街をデモ行進する被害者家族たち。
だが、翌年から、事件は封殺され、2年後には消し去られた。(岡崎哲夫『森永ミルク事件史』1957)
(森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 所蔵写真)

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1955年、原乳の腐敗を隠すため産廃由来のヒ素混入物質を投入した森永乳業の粉ミルクで130人以上の乳児死亡、1万3千人の患者。反省なき森永は国を使って20年に亘り救済運動を弾圧。不買運動で倒産寸前となった森永は渋々救済案に応じるが、以降も不正な工作を続け2022年再び提訴された。
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森永と電通ー悪魔の対談 その6 「ご家庭に健康を送って50年」「ヒューマニズムと人間味あふれる」企業って事で…|森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥
https://note.com/no_more_morinaga/n/nfbcc57100208