「アカ」という言葉は、戦後日本社会において、単なる思想上の分類ではなかった。
それはしばしば、体制にとって都合の悪い異論を排除するための政治的な道具として使われてきた。
企業や行政の責任を追及する者、既存の権力構造に異議を唱える者に対して、「アカ」というレッテルを貼ることで、その主張そのものを否定し、社会的信用を奪う。
これが、いわゆる「アカ攻撃」の本質である。
だが、森永ヒ素ミルク事件においては、被害者の親たちが求めたものは、政治運動ではなかった。
そこにあったのは、わが子の生命と健康を奪われた親としての怒りであり、企業の責任と行政の責任を問う、極めて人間的な要求であった。
しかし、その被害者運動は、巨大企業と行政という圧倒的な力と対峙することになった。
その中で、被害者側に向けられた「アカ」という攻撃は、運動の正当性を奪うための手段として機能した。
だが、森永ヒ素ミルク事件が突きつけている問題は、ここで終わらない。
むしろ、より深刻な問題は、その「アカ攻撃」を批判してきた側が、果たして自らは異論を尊重する民主的な運動を実践してきたのか、という点にある。
「アカ攻撃」とは、本来、思想の違いを理由に人を排除する論理であった。
ところが、その論理を批判してきたはずの政治勢力が、自らの組織的利益や影響力の拡大のため、当事者運動に接近し浸透工作を本格化した際、同じように異論を排除し、当事者の声を抑える構造を作り出すならば、それは重大な矛盾であり罪である。
森永ヒ素ミルク事件において問題となるのは、単なる支援の有無ではない。
誰が被害者運動の主体だったのか、という根本的な問題である。
この運動は、最初から特定の政治思想とは無縁であり、その影響は受けていない。
被害を受けた親たち自身が、自分たちの子どものために立ち上がった運動であった。
岡崎哲夫は、事件発生当初から、被害者救済の運動に特定の政治思想を持ち込むことを厳しく警戒していた。そういう動きが当初からあったからだ。
彼は、1950年代、マルクス・レーニン主義的な考え方によって、被害者の苦しみを政治的枠組みに組み込もうとする動き、特にK氏にみられた動きに対して、厳しい批判を残している。
それは、思想への単なる反発ではない。
被害者運動の主人公は、政治組織でも、支援団体でもなく、被害を受けた本人と家族でなければならないという原則から出たものである。
しかし、被害者運動が企業や行政によって追い詰められ、孤立させられる時、外部の政治組織が入り込む余地が生まれる。
そして、ここに重大な問題が存在する。
支援とは、本来、当事者の力を高めるものでなければならない。
しかし、支援する側が被害者を自らの組織論理の中に取り込み、当事者自身を組織の一員へと変えていくならば、それはもはや単なる支援ではない。
それは、被害者運動そのものの性格を変える行為である。
スターリン主義が歴史的に示した最大の問題は、単なる政治政策の問題ではなかった。
党や組織を絶対化し、異論を敵視し、個人より組織を優先するという組織原理の問題であった。
そして、その危険性は国家権力の中だけに存在するものではない。
市民運動や被害者運動の中に入り込んだ時、同じ問題が発生する。
外部から攻撃してくる敵であれば、人は警戒することができる。
しかし、「あなたたちを助ける」と言って近づいてくる存在が、実際には当事者の主体性を奪い、異論を許さない構造を作るならば、その危険はさらに見えにくい。
企業であれ、行政であれ、政治組織であれ、被害者自身の尊厳よりも自らの論理を優先するならば、その新たな権力性は厳しく問われなければならない。
「アカ攻撃」を批判してきた者が、別の形で異論排除を行うならば、それは自ら批判してきたものと同じ構造を再生産し、或る意味、加害企業への批判を全方位的に封じ込めるという悪夢の「完全犯罪」の定型パターンを社会に生み出すことだ。
この問題に、我が国はまだ、完全に無防備だ。社会を政治主義的にしかみることのできない風潮が支配的である。むしろ現在は、それが煽られている。
不正を裏で続けたい勢力にとって、これほど都合の良い環境はない。
森永ヒ素ミルク事件が問いかける本当の問題は、右か左かではない。
「誰が最後まで人間の尊厳を守るのか」
その一点にある。
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident