― 被害者運動の自主性、組織官僚化、政治的組織原理の問題 ―
森永ヒ素ミルク中毒事件における被害者運動の大きな特徴は、「全国単一組織」という形態をとったことである。
後年、この組織形態については、全国の被害者を一つに結集したことこそが救済運動を成功させた最大の理由であるとして評価されてきた。
しかし、この評価を行う際には、全国単一組織という言葉が、当初どのような意味を持っていたのかを正確に理解する必要がある。
初期の被害者運動は、決して中央がすべてを管理するような中央集権的組織ではなかった。
事件発生後、全国各地に分散していた被害者家庭は、巨大企業である森永乳業と対峙するため、一つの大きな力として結集する必要があった。その意味で、全国的な組織を形成したことは、被害者の権利を守るために不可欠な選択であった。
しかし、その組織の本質は「すべてを中央が指示すること」ではなかった。
全国で共有する基本的要求や森永への責任追及の方針については一致して行動する。しかし、具体的な交渉や地域での活動については、それぞれの被害者や父母たちの自主性を尊重する。
そこに初期(1955ー1974)運動の重要な特徴があった。
つまり、初期の全国単一組織とは、「統一された目的」と「自由な行動」を両立させるための連帯組織だったのである。
この自主性を考える上で重要なのが、被害者自身が企業と向き合うという自主交渉の考え方である。
水俣病における自主交渉の経験にも見られるように、公害被害者運動において重要だったのは、行政や専門家にすべてを委ねるのではなく、被害者自身が主体となって企業責任を追及することであった。
森永事件においても、被害者の父母たちは、自分たちの子どもの生命と健康を守るため、自らの判断で行動した。
全国単一組織とは、本来、この自主的な力を奪うものではなく、むしろ全国の被害者が自由に行動するための基盤であった。
したがって、「全国単一組織だったから中央集権的だった」という理解は、初期運動の実態とは全く異なる。
「公益財団法人ひかり協会」の現理事長が、2025年7月26日付『しんぶん赤旗』で述べた、「被害者が全国単一組織でまとまっていること」が「加害企業に社会的責任を果たさせている理由」との発言は、このもっとも重要な父母たちの運動形態への無理解をさらけ出した発言だ。
「全国単一」という言葉で、現在の集中統制型の支配の起源を、当時の親の構築した組織形態に求めている時点で、意図的な錯誤の誘導をしようとしていると捉えられても仕方がない。
集中支配をしているのは、「責任を果たさせる」というより、救済事業の9割削減という「骨抜き状態を恒久的に維持するため」といってよかろう。
組織論一般に話をもどすと、長期的な組織運営には絶えず官僚的支配が登場する問題が生じる。
ドイツの社会学者ロベルト・ミヒェルスは、ドイツのワイマール共和制期において、ドイツ社会民主党(SPD)を党内外から観察し、1911年、著書『現代民主主義の寡頭制傾向に関する社会学的研究』(日本版は『現代民主主義における政党の社会学』)を著し、「寡頭制の鉄則」を提唱した。
ミヒェルスは、民主主義を掲げる大衆組織であっても、巨大化(相対的な意味でも)し継続的活動を行うようになると、指導者、専門スタッフ、事務機構が形成され、意思決定が少数の指導層に集中する傾向を持つことを指摘した。
重要なのは、彼が問題にしたのは、組織幹部個人の問題ではないという点である。
組織を維持するためには、情報を管理し、交渉を担当し、方針を決定する機構が必要になる。その必要性そのものが、次第に組織内部の権力関係を変化させる可能性があるからだ。
ただし、森永事件の場合、この一般的な組織官僚化だけでは説明できない。
なぜなら、初期の運動は全国組織でありながら、現場の自主性を維持していたからである。
問題は、
①自然な組織化による変化と、
②そこに特定のイデオロギー的政治的組織原理が入り込んだ場合の変化
を区別して考える必要があるという点である。
民主集中制を基礎とする政治組織文化は、統一した方針のもとで全組織が例外なく準軍事的な規範でもって組織的に行動する特徴を持つ。少数意見は尊重されない。排除される方向に圧力が働く。
そして、その原理が、本来多様な個人の自主性を基盤とする被害者運動に持ち込まれた場合、著しい緊張関係が生じる。
「統一」が重視されるあまり、個々の被害者や地域組織による独自の判断や行動が制限されるからである。
ここで問題となるのは、全国単一組織という形式ではない。
同じ全国組織であっても、それが被害者一人ひとりの自主性を保障する連帯組織なのか、それとも上部の決定を下部へ伝達する統制組織なのかによって、その性格は全く異なる。
さらに重要なのは、被害者救済組織における官僚化の問題は、一般的な政治組織とは性質が異なるという点である。
政治政党や行政組織では、指導部や専門機構が形成されることは、その活動の一部として理解される。
しかし、森永事件の被害者運動の出発点は、政治目的ではなかった。
そこにあったのは、自分の子どもの生命と健康を守るという、親としての切実な責任感であった。
そのような組織において官僚化や中央集権化が支配を完了したとなると、それは単なる組織運営上の問題では済まされない。
本来守られるべき被害者や家族の声よりも、組織維持の論理、制度維持の論理、指導層の判断が優先されるようになれば、それは運動の出発点にあった倫理的使命とをないがしろにする行為として批判され続ける。
最も深刻な危険は、最大の危険は、組織が大きくなることそのものではない。
むしろ、
「被害者を守るために存在する組織」が、いつの間にか「組織を維持するために被害者が存在する」
という逆転を起こすことである。
そこでは、同じ苦しみを経験した親たちが、本来は子どもたちの未来を守るために結集した。その原点を考えるならば、組織内部で自主性や異論が失われた今日の結果は、単なる運営上の失敗ではなく、運動の倫理的基盤そのものを揺るがす問題である。
だからこそ、被害者運動においては、強固な組織力だけではなく、常に現場の声を聞き、当事者の自由な行動、意見表明、自主性を保障する仕組みが絶対不可欠なのである。すくなくとも、森永ヒ素ミルク中毒事件では、もはや望むべくもないのだろうが…。
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident