日本共産党は長年、弱者の側に立つ、庶民の苦しみに寄り添う、権力や大企業の横暴と闘う、などを掲げてきた。すくなくとも表向きは…。
しかし、森永ヒ素ミルク事件において問われなければならないのは、なぜ、そもそもあなた方が、これに関わってやっているのか? という問いである。
さらにその表向きの理念はどこにいったのかね、ということだ。つまりは、本当に被害者自身のためにその理念を活かしているのか? ということである。
被害を受けた子どもたちと家族が求めていたものは、政治組織の利益でも、特定の思想の拡大でもなかった。
求めていたものは、自分たちの苦しみを自分たちの言葉で訴え、奪われた生命と尊厳に対する責任を明らかにすることであった。
ところが、『しんぶん赤旗』は森永ヒ素ミルク事件について、一つの歴史的評価を示した。(日本共産党中央委員会機関紙『しんぶん赤旗』が2025年7月24日から26日まで三回にわたって「森永ヒ素ミルク事件70年」と題して三回シリーズの連載を行った。)
これについての最低限の批判はすでに書いた。
弱者の味方を掲げ、権力による抑圧と闘うことを主張してきた政治勢力が、なぜ被害者運動の中に存在した異論や批判の声を十分に取り上げず、歴史の重要な要素をあえて「消し」、特定の側面だけを評価するような「宣伝」を行ったのか。
同党の表向きの姿勢からなら、企業や行政による加害を批判することは当然であるはずだが、それもほとんどやらなかった。
被害者救済を掲げる運動において、本当に守らなければならないものは何なのか。
それは組織の名誉でも、政治的評価でもない。
被害を受けた当事者自身の声である。
しかし、もっとも顕著だったことは、『しんぶん赤旗』はそれをしなかった、という事実だ。
自らを弱者の側に立つ存在として位置づけるならば、最も弱い立場に置かれた被害者の中にある異論や苦悩にも向き合わなければならない。
自分たちと一致する声だけを取り上げ、都合の悪い声を見えなくするならば、それは、あなたがたが「反共攻撃だ」とか「アカ攻撃だ」といつもながらに、激しい勢いで糾弾してきた「異論排除」の論理と、何が、どこが違うのか?
「アカ攻撃」とは、思想の違いを理由に人を排除するための論理であった。
しかし、もはや本当に問われるべきなのは、その「アカ攻撃」を批判・糾弾してきた側が、一転、自らの立場とは異なる人々(被害者)の声に対して、同じような、いや、「アカ攻撃」などを遥かに上回るレベルの「排除の構造」を作っていないか、ということである。
森永ヒ素ミルク事件が突きつける問題は、右か左かという対立ではない。
企業の論理も、行政の論理も、表向き「革新」を装う政治組織の論理も、被害を受けた人間の尊厳より優先されるならば、同じように批判されなければならない。
問われているのは、あなたたちは一体、誰のために存在してきたのかということである。
「弱者を守る」とかなんとか、御立派な「理念」を掲げるのなら、その「理念」は、最も弱い立場に置かれた被害者の声を守る時にこそ、本当の意味を持つ。
その原点を失った時、どのような正義の言葉も、ただの組織の論理になり下がる。
そして、そこに姿を現すのは、ただ、現世の既得権の維持のみに汲々としている、どこにでもいる人間のあさましい姿だけである。
以上
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident