森永ヒ素ミルク中毒事件の時代、わが家には「森永ミルク中毒のこどもを守る会」の全国本部事務局がありました。
そのため、家の中はいつも騒然としていました。
毎日のように、知らない人が出入りする。カメラを回す人、写真を撮る人、話を聞こうと質問をする人。
夜遅くまで、そうした光景が続いていました。
子どもだった私にとっては、それが日常でした。
父は、その対応が終わると、今度は蔵の二階にあった事務局へ上がっていきました。
そこでガリ版を切り、資料を作り、連絡を取り、運動の仕事を続ける。
家には父がいる。しかし、いつもいない。
そんな不思議な存在でした。
記者や来客がいない日でも、父は家で食事を済ませると、すぐに事務局へ向かいました。
私にとって父は、「帰ってくるけれど、すぐにどこかへ消えてしまう人」でした。
毎日が行方不明。
「お父さん、どこにいるんだろう」
子どもの私は、そんなふうに感じていたのかもしれません。
しかし、ずっと行方不明ではありませんでした。
しょちゅう蔵から「帰ってきて」、「仕事」を言いつけられる運命が待っていました。
私の小学生時代は、おこずかいもなしの無給の「下働き」の時代になりました。
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident