1969年、森永ヒ素ミルク事件から14年目の報告をめぐる全国記者会見が、わが家で行われました。
家には8畳の座敷がありました。しかし、その部屋は人でいっぱいになりました。座る場所どころか、立つ余地もないほど、多くの新聞記者や関係者が入り込んだのです。
その時、私にも役割がありました。
一つは電話番でした。
当時、わが家には黒電話が一台しかありませんでした。新聞記者の方たちは、その電話を使って本社へ原稿を送ったり、連絡を取ったりしていました。
父からは、 「ただで電話を使わせてはいけない。ちゃんと電話代を受け取るんだ」 と言われ、私は電話番をしていました。
今考えると、少し不思議な役割です。
家の中では、大人たちが事件について話し合い、全国から来た記者たちが取材をしている。その一方で、私は電話代を集める仕事をしていた。
もちろん、子どもだった私には、そこで何が話されているのか詳しく理解できませんでした。
でも、あれほど大勢の人が集まり、大きな報告の場になっていたのなら、少しぐらいその話を聞かせてもらってもよかったのではないか、と今になって思います。
私はただ、電話番という役割を与えられていただけでした。
事件のただ中にいながら、その中心で何が起きているのかを知らされない。
それもまた、当時の子どもだった私の記憶の一つです。
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1.WHO [世界保健機関] 搾取的粉ミルクマーケティングの衝撃的レポート [1] [2] [3] / WHOが乳幼児食品業界に対し搾取的粉ミルクマーケティングの中止を要求 [1] 粉ミルクとタバコは、国際的な販売禁止の勧告がある唯一の二つの製品である [ 2 ] [3] / 2.United Nations University Press [国際連合大学出版] 技術と産業公害> 森永ヒ素ミルク中毒事件 [English Version] [1] /3.Report of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident [English Version] [1] [2]
©森永ヒ素ミルク中毒事件資料館
©Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident