森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥
2025年5月10日 17:18
1949 ★森永乳業設立
1952 ★赤ちゃんコンクール実施 (岡山県が最初となる)
1955 ★西日本一帯で人口栄養児に奇病発生 (6月)
★奇病の原因は森永ミルクによるヒ素中毒と岡山県衛生部が発表 (8月24日)
★日赤岡山病院入者を中心に被災者家族中毒対策同盟結成 (8月27日)
★徳島地検、森永を起訴 (9月20日)
★六人委員会「治療判定基準」その他、厚生省に答申 (11月2日)
★五人委員会意見書発表 (12月15日)
1956 ★岡山同盟解散。岡山県森永ヒ素ミルク中毒のこどもを守る会結成 (6月24日)
1957 ★財団法人森永奉仕会設立 (2月20日)
★『森永ヒ素ミルク事件史』発刊 (5月24日)
★日本母親大会参加決定。森永に全員治療の約束をさせ参加中止 (8月2日)
1958 ★守る会、10人の被害児の治療を森永に約束させる (10月10日)
1960 ★第六回日本母親大会に参加。中山マサ厚生大臣に陳情 (8月20日)
1962 ★守る会第七回総会。 会の名称より「岡山県」を除く (8月27日)
1963 ★徳島地裁で森永の無罪の判決。 徳島地検は高松高裁へ控訴 (10月25日)
1964 ★岡山地裁に提訴中の岡山訴訟派55人は民事裁判で和解 (4月1日)
1965 ★守る会第十回総会。会の解散を否決して存続決議 (8月24日)
1966 ★高松高裁は第一蕃の判決を破棄、差戻し決定、森永上告 (3月31日)
1967 ★遠迫医師の斡旋で守る会は精密検診実施 (3月~9月末)
1968 ★岡山大学医学部衛生学教室から協力の申出、資料提供 (12月9日))
1969 ★最高裁は森永の上告を棄却し、徳島地裁へ差戻し (2月27日)
★大阪大学医学部丸山教授らによる 「十四年目の訪問」 公表 (10月18日)
★朝日新聞で 「十四年目の訪問」大々的に報道 (10月19日)
★守る会第一回全国総会、守る会全国組織となる (11月30日)
1970 ★森永と守る会、岡山市で第一回本部交渉、今後のルール確認 (12月12日)
1972 ★「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案」 成立 (8月20日)
★第十五回本部交渉森永欠席、守る会民事訴訟、不買運動決議 (12月3日)
1973 ★第一波訴訟を大阪地裁に提訴 (4月10日) 第二波提訴岡山地裁 (8月24日)
★第五回三者会談で森永企業責任を認める確認書に調印 (12月23日)
1974 ★財団法人ひかり協会設立許可される (4月25日)
★守る会、民事訴訟を全国一斉に取り下げ。不買運動の中止を要請 (5月24日)
【目次】
終わらない事件…70年間、尊厳を奪われ続ける重症被害者
森永乳業の手段を選ばぬ裏工作+傀儡(かいらい)支配の新方式
ヒ素入り粉ミルクで大量殺人しても、大儲けの上場企業でいられるワケ
史上最大のヒ素中毒事件
全国の乳児を襲った未曾有の粉乳ヒ素中毒事件
被害者である姉・岡崎ゆり子のこと
森永製菓から分社した森永乳業。もうけ最優先の果てに…
ヒ素入り粉ミルクがなぜ流通したか?
腐敗寸前の原乳使用を隠すために不正な化学物質を投入した森永乳業
アルミ精製工場の産業廃棄物由来の工業用「第二燐酸ソーダ」を投入した森永乳業
違法な「過酸化水素水」も追加投入した森永乳業
自社こそ「被害者」と主張した森永乳業
森永乳業の偽装工作の巧妙性は、いまだに解明途上の研究対象
避けられたのに、警告を無視した森永乳業
猛毒のヒ素が混入した化学物質を目分量で投入していた森永乳業
被害爆発1カ月前に奈良県の医師が警告するも、これを無視した森永乳業
医学も予測できない「ヒ素ミルク症候群」
被害者救済運動の開始
事件発表の三日後から被害者団体が設立
14年間圧殺された「守る会」運動
当時の「守る会」は、1986年に創建者が粛清排除されたことで異質の団体に変貌。
「森永への忖度精神」にまみれた現在の団体「被害者を守る会」
被害者の声を代弁した市民をひぼう中傷し、裁判で有罪判決をうけた「被害者を守る会」
直後から国を前面に押し立てて弾圧を開始した森永乳業
事件直後から、国・厚生省を前面に押し立てて被害児を医療ケアから排除し、救済運動を弾圧した森永乳業
「森永への感謝キャンペーン」は事件発生と同時に開始された。
「森永への感謝」を口にするものが、行う「事件要因の核心の隠蔽」
国が前面で実行した後遺症封殺の構図
国を使って三つもの御用機関を設立し、被害者家族の抹殺をつづけた国と医学界…西沢委員会、五人委員会、森永奉仕会…
日本中の医師を一人残らず統制した阪大と岡大の御用学者
被害児を叩き続けた御用学者・浜本教授を礼賛するローカル紙
嘘に嘘を重ねる
大阪地裁一審、不当判決の報に接して東京在住の文筆家の視点
現在も続く被害者への封殺体制
研究者に資金をばらまく「森永奉仕会」は未だに存続している
救済を求める被害者を「金目的」と中傷する手法は、今や日本社会にまん延
被害者家族への裏工作をやめない森永乳業
森永の裏金工作の実例
「ひそかに」千万単位のカネを“標的”に仕込む森永乳業
遺族の訴訟を敗北に追い込みたい森永へ奉仕を始めた「守る会」
「ひかり協会」発足から始まった変節
あっという間に森永乳業の前で「裸踊り」を始めた「守る会」
森永乳業幹部が広島の被害者家族の封殺に直接動く
戦時プロパガンダの立役者・森永
森永は、戦時プロパガンダ技術集団「報研」の牽引者として、電通と癒着。
日本広告界から偉人扱いの新井静一郎(森永のち電通常務)その正体
羊頭狗肉と化した「恒久救済対策案」
「森永はよくしてくれている」「ヒ素を飲ませてもらってよかった」なる「公益財団法人ひかり協会理事長」の「恒久救済やります」発言の真意
1980年代以降変質しきった「被害者」団体と「ひかり協会」
当初の合意から9割削減され ‘’抜け殻‘’ と化した「恒久救済対策案」の現状
すでに20年前に暴露されている「恒久救済対策案」の実態
森永と共謀している者たち/民主集中制の大罪
異論封殺が完了している現「被害者団体」
「被害者」団体はどのように操縦されているか?~「民主集中制」の罠
「どこかの国の党」とそっくり
40年間続けてきたプロパガンダ
大阪裁判:苦しみ続ける人間を消し去る判決
2022からの大阪訴訟の怪=「裁判長の中途交代劇」
国家が前面に出て弾圧した事件に、除斥を適用するか?
国家・司法は何を消し去ろうとしているのか?
産業公害は過去のものではない
森永プロパガンダの基本は歴史歪曲と「被害者自身にやらせる自社への感謝キャンペーン」
大本営発表ばりの「森永賛美宣伝」が続いている日本
ウィキペディア、中坊公平「本」には要注意
顕著なプロパガンダの例、「関西テレビ」
「弱者管理はあの党にまかせておけ」
被害者への「政治的囲い込み」を容認する社会の行く末。
止まらない日本社会の腐臭
【参考資料】
ルポライター能瀬英太郎によるドキュメンタリー
森永ヒ素ミル中毒事件資料館
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館ブログ:「市民」
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本文
史上最大のヒ素中毒事件
全国の乳児を襲った未曾有の粉乳ヒ素中毒事件
昭和30年(1955年)、西日本を中心に全国規模で発生した、森永乳業の粉ミルクによる世界史上最大の乳児のヒ素中毒事件である。
森永乳業の粉ミルクを飲んだ乳児ら約1万2159人がヒ素中毒にかかり、事件発生後1年以内に亡くなった乳児だけでも131人にのぼる。死亡者はこの70年間増え続けている。その後の、毎年積みあがる死亡者についての数字を厚労省は長年隠していたが、厚労省職員が地下鉄で事件被害者名簿400人分以上を紛失した事件(2013年)で、資料館が厚労相に公開質問状を提出し、情報公開させた。それまで厚労省は、この情報を公開していなかった。2013年段階で被害者の累積死亡数は1170名、今も増え続けている。
現在の累積死亡者数は1763人にのぼり、認定被害者数は13463人だ。(2025年3月末現在/厚生労働省)
被害者である姉・岡崎ゆり子のこと
両親の必死の見守りでなんとか小学校教師にまでなって障害児教育にも情熱を注いでいた私の姉は、ヒ素中毒の後遺症で何度となく病床に伏し、大手術を繰り返し、最後は5年間にわたる闘病生活の末に2000年に45歳で逝った。その姉もこの千名以上の死没者の中に含まれる。
厚労省は、この数字を隠し続けて、あたかも「事件が円満に収束しているかような宣伝」に加担していた。
姉への看病と心労から、同じ年の12月に父も逝った。翌年には母も倒れ、数年後、姉と同じホスピスの部屋で桜が散る頃に逝った。私の家族は全滅した。だが、森永乳業には、未だに真摯な反省は見られない。
森永ヒ素ミルク中毒訴訟 脳性まひの女性が賠償請求 きょう判決 | NHK
【NHK】70年前に起きた「森永ヒ素ミルク中毒事件」で、乳児の時に脳性まひになった大阪の70歳の女性が、ヒ素が混入した粉ミ
www3.nhk.or.jp
森永製菓から分社した森永乳業。もうけ最優先の果てに…
森永乳業は、事件発生の数年前に、経営不振であった親会社の森永製菓を支えるという目的で、分社独立して以降、猛烈な営業活動を展開した。例えば岡山県では、岡山大学医学部の小児科教授からメディアまで広く、資金や頻繁なる広告出稿という形でカネをばらまき、官公庁ぐるみで母親に「他社ミルクから森永ミルクに替えるよう」指導をしていた。
粉ミルクの原料(原乳)は単なる牛乳である。森永は増産のため原料調達を遠距離から行い、その過程で品質が劣化し腐敗しかけていた原乳を新鮮に見せかける目的で「第二燐酸ソーダ」なる化学物質を添加していた。
腐敗の進んだ原乳でも、乾燥すれば粉ミルクに見える。だが原乳の品質が劣化すると哺乳瓶に入れるためにお湯に溶かす時に、カゼインという乳固形分が悪さをして溶けにくくなるため、品質の悪さが母親に露見する。
ヒ素入り粉ミルクがなぜ流通したか?
腐敗寸前の原乳使用を隠すために不正な化学物質を投入した森永乳業
それをごまかすために森永が考えついたのが、この化学物質を「中和剤」として添加することだった。溶解速度がアップするので、通常の製品に見せかけて、母親をだますことができる。
だが、そうはいっても、当時、他の乳業各社はこのような物質を添加することはしなかった。
この時点で森永乳業の行為は、粉ミルク製造会社として有り得ないが、加えて、幾重もの非常識な行為を積み重ねた。
アルミ精製工場の産業廃棄物由来の工業用「第二燐酸ソーダ」を投入した森永乳業
森永乳業は、この化学物質を粉ミルクに投入するにあたり、局方薬や試薬一級品の「第二燐酸ソーダ」ではなく、アルミ精製工場から排出された産業廃棄物由来の工業用「第二燐酸ソーダ」を使った。
工業品、つまり「無規格品」の「第二燐酸ソーダ」は、脱色精製されれば一見きれいな結晶体に見えるが、もちろん食品に投入するものではない。当時でさえも、全く別の用途、工場での洗剤や殺虫剤に使われていたシロモノであった。
これを様々な工場に卸していた薬品問屋は、この工業品である「第二燐酸ソーダ」を当時の「国鉄」(JRの前身)に納入した。蒸気機関車のボイラー内部の洗浄剤としてだ。だが、当時の国鉄は、洗剤といえども、受け入れ検査をしており、砒素の含有量があまりに多いから洗剤としても使えない、と問屋に突き返した。
産業廃棄物由来の工業用第二燐酸ソーダには成分保証がなく、ヒ素を含む様々な有害不純物が混入しうるということは自明であった。
違法な「過酸化水素水」も追加投入した森永乳業
まだある。森永は原乳の腐敗が進んでいたことをよく自覚していた。当時でも食品に投入してはいけないことになっていた違法薬物「過酸化水素水」を原乳に投入するという、あり得ないことをやっていた。これはヒ素中毒の衝撃があまりに大きすぎて陰に隠れてしまったが、消費者を騙すためには手段を選ばない森永の確信犯性を証明する事実である。どんな粗悪な原料を使用しているかを森永乳業自身が、もっともよく自覚していたわけだ。
「第二燐酸ソーダ」をめぐる論点で、原審から判決が逆転した経過には、いまだに今日的教訓が多く、研究の対象である。
自社こそ「被害者」と主張した森永乳業
ひとつ紹介すると、「工業用第二燐酸ソーダ」には、もちろん致死量のヒ素が混入していない時期もあった。それはアルミ精製工場から排出される産業廃棄物としての偶然性に左右される。
森永は、こういう事情を素人は知らないことを逆手にとった。彼らは悪知恵を絞り、産廃由来の工業品を利用したことを隠しながら「使用の初期は中毒が起こらなかった」「相当の値段で購入していたから粗悪品とわかって入手していたわけではない」「我々こそ悪質な薬問屋に騙された被害者である」などと、あらゆる詭弁を動員して、検察の訴訟構成の不備をつき、一審で無罪を勝ち取った。
だが、差し戻し審では、「無規格品である産業廃棄物由来の工業品の第二燐酸ソーダ」を使用したことこそが、森永の最大の罪であるというシンプルな知見が採用され、森永は有罪となった。それに至るまでには、あまりに長い年月を要した。
森永乳業の偽装工作の巧妙性は、いまだに解明途上の研究対象
これは、科学と法の分野からも分析が加えられ、新しい知見が提出され続けている。2021年12月に出版された中島貴子著『科学技術のリスク評価』には、このヒ素の原因物質の登場をめぐる重要な部分がわかりやすく解説され、さらに森永の詭弁の本質と、司法が手玉に取られていた背景要因、事件史の前半が、科学者の視点からまとめられている。
科学技術のリスク評価:森永ヒ素粉乳中毒事件を中心に
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避けられたのに、警告を無視した森永乳業
猛毒のヒ素が混入した化学物質を目分量で投入していた森永乳業
事件当時、森永乳業は、薬品の卸問屋には「用途を告げずに」この第二燐酸ソーダを購入していた。猛毒のヒ(砒)素など不純物がいろいろと混入した、食品に入れるなど論外の「工業品の」第二燐酸ソーダを、赤ちゃん用粉ミルクに安定剤として添加していたのだった。
なお、奇妙なことに一缶ごとのヒ素の含有量は異なっていた。森永乳業徳島工場では、当時、計量器(薬用天秤)が故障しており、この猛毒添加物を「目分量」で投入していた。「はかり」を修理する暇も惜しんで、猛毒の混入した産業廃棄物由来の添加物を、乳児の唯一の栄養源となる粉ミルクに放り込んでいたわけだ。
被害爆発1カ月前に奈良県の医師が警告するも、これを無視した森永乳業
8月に入り西日本を中心に全国規模で発生したこの事件の1ヶ月程前に、奈良県の医師が、森永乳業の粉ミルクを摂取していた赤ん坊の異常を診て、森永乳業に警告を送った。だが森永はそれを無視した。
遂に大量被害が発生し、その発生のさなかでも、森永乳業は反省するどころか、徳島工場の社員を夜な夜な市内の薬局に走り回らせて、局方薬の第二燐酸ソーダを買い占めて、さも規格品を使用したかのような偽装工作に奔走していた。これらが証拠隠滅行為として検察に察知され、森永の有罪に結びついた。
森永乳業は、粉ミルクの出荷にあたっての官能検査(実際に口にする検査)も省いていた。新聞広告で「赤ちゃんのために」と粉ミルクで丸々太った赤ん坊を写真入りで大宣伝していた一方で、企業体質としては、もはや、人の口に入るものを作っているという自覚さえ喪失した状態であった。
医学も予測できない「ヒ素ミルク症候群」
そのために、乳児の大量死と終生に及ぶ重大な後遺障害が発生し、人類史上最悪・未曾有といわれるヒ素中毒事件となった。急性ヒ素中毒による赤ん坊の死者は公式発表されているものだけでも131人(事件発生後1年以内に限っての死者)、中毒患者は1万2159人(1956年厚生省認定)に及んだ。現在、大人になるまでに死亡した被害者の総数は1700人を超え、死者は、毎年積み重なっている。
今なお重篤な障害に苦しむ被害者が多数おり、軽症者といえども、被害に悩み続ける心情は同じである。加えて、社会からの差別に苦しんできた。
小児つまり人生の出発点で猛毒のヒ素を摂取させらてた被害者には「ヒ素ミルク症候群」といわれる医学でも全く予測不可能な様々な疾病が発生する。また、年齢とともに被害が重症化する不安に悩まされている。
被害者救済運動の開始
事件発表の三日後から被害者団体が設立
1955年8月24日の事件発表の日の、三日後には、岡崎哲夫によって「被災者家族中毒対策同盟」が結成され、1955年9月18日には「森永ミルク被災者同盟全国協議会」として全国組織に発展、その後の紆余曲折をへて、最終的に、1956年、「岡山県森永ミルク中毒の子供を守る会」(以下、「守る会」という)が結成された。
14年間圧殺された「守る会」運動
「守る会」は、その後14年間にわたり一貫して救済を訴えてたたかったが、森永は国・厚生省を前面に押し出し、国の影に隠れて、後遺症追跡を求める親の声を20年近くにわたり封殺した。
なお「守る会」は1969年11月に岡山県の名前をとって全国組織「森永ミルク中毒の子どもを守る会」となる。
運動初期の詳細は、能瀬英太郎『紙のいしぶみ』(『週刊金曜日』に概要が記されている。さらに詳しくお知りになりたい方は、岡崎哲夫『森永ミルク事件史』(復刻版『砒素ミルクⅡ』)、及び、事件の圧殺期全般については、谷川正彦・能瀬英太郎著『砒素ミルクⅠ』をご参照。戦後日本の住民運動史を克明に記録した市民の手による名著である。)
【歴史文献】以下、DL・転載フリー(文末にも重複掲載)
1.能瀬英太郎著『紙のいしぶみ』
(雑誌『週刊 金曜日』2001年)
最近までの事態は、『後退する被害者救済』
(同上 2002年)
『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』
(資料館HP 2010年)
2.砒素ミルクⅠ
(谷川正彦・能瀬英太郎)
上巻pdf 下巻pdf
3.砒素ミルクⅡ
(岡崎哲夫『森永ミルク事件史』1957年の復刻版)
上巻pdf 下巻pdf
当時の「守る会」は、1986年に創建者が粛清排除されたことで異質の団体に変貌。
なお現在、「被害者」団体を自称する「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」は、旧「守る会」の遺した文章と機関紙名を自由気ままに引用・悪用しながら、あたかも「われわれは長い伝統を誇る“守る会運動”を継承している」かのように装っている。
だが、いくら創建者の言葉を盗用したり歴史を歪曲しようとも、すでに記録された歴史を消し去ることはできない。せいぜい、それが社会に知られることを邪魔するくらいのことしかできない。森永が事件圧殺中に「美辞麗句」を社会に大量拡散して被害児の苦しみを封殺した方法と、似たことをやるしかないのだ。(次回連載「森永と電通─悪魔の対談」)
「森永への忖度精神」にまみれた現在の団体「被害者を守る会」
少なくとも現「被害者」団体の有する精神性は、1955年から1980年前半までの「守る会」の精神性とは、正反対である。
そればかりか、露骨に森永へ忖度し、被害者に「ミルク友達」なる名前をつけて、「森永への感謝」「かかった中毒がヒ素ミルクでよかった」「(ヒ素)ミルクを飲んで良かった」などという、およそ信じがたいフレーズを常用する。
「被害者団体」の「看板」を使いながら、ここまで露骨に森永を礼讃することで、巨大な「虚構」を演出している。
さらに報道機関への被害者個人の自由な発言まで禁止する「ガイドライン」を作って、被害者からの批判や異論を存在しないかのように演出し、徹底させている。
このような日常的な威圧的支配が実行され、言論が封殺された、一種、精神の「収容所」とも思えるような空気で支配している。
被害者の声を代弁した市民をひぼう中傷し、裁判で有罪判決をうけた「被害者を守る会」
さらに、批判する市民へ機関紙を使った誹謗中傷を実行し、裁判で有罪判決まで受けている。だが、「被害者団体」の看板を握った勢力は、徹底して「ブレずに」宣伝を続け、やめない。
森永からの広告にあずかりたい一部メディアも、被害者が「報道への自由な言論さえ規制されている」重大な事実を知りながら、「知らないふりをして」、指定された者を露出させニュースを制作する。
まさに今日の一部メディアの倫理崩壊を象徴する行いだ。
一部メディア関係者は、自分たちが露骨に馬鹿にされても、広告期待や、ある種の政治的利害のためには、弱者に人権侵害を実行している組織を翼賛する。ジャーナリズムの究極の自殺行為である。
このように、同じ被害者への差別的な強圧的支配をしているという意味で、現「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」と「公益財団法人ひかり協会」は、「守る会」精神とは無縁かつ、むしろ正反対の対極にある「団体」である。上掲の文献をご参照いただければ一目瞭然である。
直後から国を前面に押し立てて弾圧を開始した森永乳業
事件直後から、国・厚生省を前面に押し立てて被害児を医療ケアから排除し、救済運動を弾圧した森永乳業
更に悪質なのは、事件が発覚したあとも14年以上にわたって、森永は国、医学界、メディアに裏から工作を行い、それらを囲い込んで、国家権力を前面に押し立て、被害者家族の訴えを社会的に「黙殺」させた。「乳児がヒ素を飲んでも後遺症などはない」「ヒ素中毒後の赤ちゃんの症状は、原病からくるものである」「問題は何もない」「事件というものは存在しない」などと、社会的抹殺という手法で森永乳業は徹底的に弾圧し続けた。
「森永への感謝キャンペーン」は事件発生と同時に開始された。
さらに森永乳業は、‘’患者たちは、森永からの処置が十分であるとして、森永に感謝している‘’ という大嘘のキャンペーンを、事件発生当時から開始した。
大多数の被害者に、そんな事実はない。だが、元々、証拠を隠滅・偽装までして「我が社こそ被害者」なる宣伝をやると決めた企業だ。
真実をねじ曲げて、あらゆる工作をやれば、何人かは騙せる。森永は、そういう被害者が一人でもいれば、鬼の首をとったように、「金にものを言わせた宣伝力」で、「我が社は被害者からも大いに評価されている」などと、世論をだますプロパガンダを開始した。これを社会全体に空気のように漂わせた。このバックグラウンドに、個別の戦術的な宣伝を乗せて、自社に有利な世論の醸成を自由自在にやった。「森永さんはよくしてくれるので感謝します」というのは、森永が70年間一貫して続ける、最も戦略的な「印象操作」だ。「ブランド戦略」技術の悪用事例でもある。
「森永への感謝」を口にするものが、行う「事件要因の核心の隠蔽」
詳細を語れば、事件発生要因を説明するさい、「ヒ素が混入した第二燐酸ソーダの市場流通の許認可問題」に衆目の注意を誘導し、森永乳業が「産業廃棄物由来の工業品第二燐酸ソーダの使用をわかった上で実行した」という核心的事実と悪質性から国民の目をそらせる試みが絶えることなく進んでいる。Wikipediaでの同事件解説も同様で、発生をめぐる記述ですら、すでに支離滅裂で、ほとんど架空の話になり果てているが、そのなかにも、この作為だけはしっかり存在している。
こうすることで、森永乳業に元からあった確信犯ぶりが全く見えなくなる。また、その証拠を隠滅して司法まで騙した更なる確信犯ぶりも当然わからなくなる。
最も重要な事件発生要因の「主従関係」を逆転させ、「一見語っているようなポーズでうまく」核心を隠蔽できれば、森永乳業の戦略目標はおのずと達成されるのである。いまや、これを「外注団体」と一部のメディアが嬉々として代行している。
森永は、後述するが、戦争協力の時代に磨いた技術を使い、こういうナチスばりの「巨大な嘘」を拡散することにためらいがない。国民はこの宣伝に見事にやられてしまった。この40年間もそうだ。
「被害者による森永への感謝キャンペーン」はこういう事情により、1955年の事件発生当時から被害者救済運動を弾圧しながら同時並行で開始され、今にいたるまで70年間、手をかえ、品をかえて延々と続けられている。
国が前面で実行した後遺症封殺の構図
国を使って三つもの御用機関を設立し、被害者家族の抹殺をつづけた国と医学界
…西沢委員会、五人委員会、森永奉仕会…
国は、表向き「利害関係者から独立した第三者委員会」に見せかけた、だが、実際には森永の代行機関である「5人委員会」を立ち上げ「後遺症はない」と宣言させ、それを操って、被害者の現状を無視した強引な「手打ち」を発表し、一方で「森永奉仕会」という組織を作って国立大学をはじめ全国の大学の医学部に研究費という名目で潤沢なカネをばら撒き、医学界や専門家を買収、縦系列でいもづる式に統制した。
日本中の医師を一人残らず統制した阪大と岡大の御用学者
国が実行したのは、街の開業医でさえ問題を指摘できないように医師を縛ることであった。
当時、日本小児科学会の権威であった大阪大学医学部小児科の西沢義人教授と岡山大学医学部小児科の浜本英次教授がツートップになる「西沢委員会」(別名「6人委員会」※)が、事件後すみやかに、「治癒判定基準」なる診断基準を厚生省に答申、「迅速に」採用された。
これで、ヒ素飲用後の後遺症に苦しむ赤ん坊を「科学の装いでもって」強引に「完全治癒したことに」して医療ケアから排除した。子どもの命を守るべき小児科医が、森永乳業からの研究費で買収され、被害に苦しむ子どもを圧殺する先頭にたった。恐るべきことだ。 ※西沢義人(にしざわ・よしと)/浜本英次(はまもと・えいじ)
被害児を叩き続けた御用学者・浜本教授を礼賛するローカル紙
翌年の1956年に発生した水俣病では、この御用医学者の手法が使われ、3.11の放射線被害でも同じやり方が使われている。
岡山県と広島県は、それぞれ2000名を越す被害者を抱える最大被害県だ。特に岡山県は2300名近い全国最大の被害者を出している。その背景には、地元紙である「山陽新聞」が異常なペースで森永乳業の広告を出していたこと、岡山県行政が森永乳業の営業に公然と協力していたことなどがある。
森永乳業自体が、後述する社史で、岡山県と山陽新聞を「協力者」として名指しで絶賛している。
しかし岡山県も、同紙も未だに、被害の拡大への責任を自覚しているとは言えない。それどころか、この浜本英次教授ら御用学者を称賛している。加えて、被害児をなきものにするため岡山県官製検診に加担した浜本氏の子分格の医者たちにまで、浜本氏の賞賛をさせて、ダブルで賛美を続けている。歴史の偽造行為は激しすぎて、真実が回復する兆しは見えない。だが、歴史の偽造を許すわけにはいかない。
嘘に嘘を重ねる
山陽新聞は、岡山県の三木県政が事件当時、浜本英次教授を権威者に仕立て上げるために制作した悪名高い「御用報告書」を頼りにして浜本英次教授を「被害者を救った名医」と主客転倒の記事を書いてネットに拡散し続けている。
この記事の書き手は、参照資料の性格を知った上で利用しており、意図的である。
さらに、同紙は、事件の最初の報道をしたことを自慢している。だが、一刻も早く警鐘をならすべく森永製品と特定して書いた現場記者の原稿を、デスクが書き換えて社名をふせたこと、これにより不安におののく母親たちを更なる大混乱に陥れたことに関しては、未だに語らない。
森永ヒ素ミルク中毒訴訟 脳性まひの女性の訴え退ける 大阪地裁 | NHK
【NHK】70年前に起きた「森永ヒ素ミルク中毒事件」で、乳児の時に脳性まひになった大阪の70歳の女性がヒ素が混入した粉ミル
www3.nhk.or.jp
大阪地裁一審、不当判決の報に接して
東京在住の文筆家の視点
現在も続く被害者への封殺体制
研究者に資金をばらまく「森永奉仕会」は未だに存続している
森永ヒ素ミルク中毒事件は、戦後初の「御用学者」を大量に生み出した原点ともいうべきものである。この方式は、その後の水俣病でも悪用された。
ちなみに「森永奉仕会」は、その後も解体されることなく、「公益財団法人」として今も存在し続けている。これは70年間続く、日本社会のモラルハザードの象徴例である。
また、この事件から、加害企業が一部の被害者の親への工作を行い、篭絡された被害者家族をして「問題が何も解決されていないではないか」と訴える被害者家族へ襲いかからせるというような、被害者集団への傀儡(かいらい)的な支配手法が開発された。
救済を求める被害者を「金目的」と中傷する手法は、今や日本社会にまん延
「5人委員会」の非道な答申でも明確だが、わざと不当に低い補償額を提示して、それに異議を唱える被害者に対して「金取り集団」であるかのように世間に印象づけて、市民からの共感を排除して分断するといった非道なプロパガンダの最初の事例が森永ヒ素ミルク中毒事件だ。
これは、3.11での原子力被害や、津波被害の責任追及でも、家族の犠牲の責任を追及して闘う遺族被害者を攻撃するための標準ツールと化している。森永ヒ素ミルク中毒事件から開始され、被害者と国民を分断するうえで大成功を収めてきたので、政治家は空気のようにこれを使う。ちなみに、「最後は金目でしょ」発言も(石原伸晃環境相2014年)もこの亜種だ。
被害者の「内輪もめ」「内紛」を演出して国民と切り離し、陰に隠れて糸を引きながら、被害者を自滅させようとする巧みな手法も、この事件から開発された。実際、激しい工作により、金と引き換えに子どもの将来、健康と人権を売り渡す親が出た。
森永は自分から工作しておきながら、屈服した被害者家族の存在を利用して、救済運動を「ユスリ・タカリの集団である」と二重三重に誹謗中傷した。
当時のメディア全体も、急速に森永と国の意向に沿うようになった。あたかも、被害者が金で折り合いがつかないから闘っているかのように、事実の断片を強調して宣伝し、後遺症の追跡に心を砕く親の願いを封殺した。
事件発生二年後には、まともな報道はゼロとなった。
被害者家族への裏工作をやめない森永乳業
また、こういう親に感化され、同じ被害者を森永の側にたって支配管理し、加害企業賛美のキャンペーンをためらいもなく実行する現「被害者団体」の存在も例外ではない。
森永乳業はカネの力で、こういう親や子どもをつくり続け、被害者家族の尊厳を丸ごと奪い続けることに、なんのためらいも持っていない企業である。
今裁判でも法廷に証拠として提出されているが、森永は、過去に、裁判を提起した死亡被害者の遺族を黙らせるために、法廷外での多額の裏金工作を実行している。
示談書は表向き295万円だが、森永は裏で両親に1605万円を渡す。合計1900万円とキリのいい数字になっている。
森永にとっては運悪く、新聞記者に察知され、大型の報道記事となり、裏金工作の証拠として残ったが、社会からなんの制裁も受けていない。記事には、被害者工作の専門部隊である森永乳業本社の渉外部・池田親衛部長による、事実上無内容な弁解が掲載されている。
これとは反対に、正式かつ堂々と公開の場で遺族に対して「個別の対応」を要求して裁判で闘い続けた徳島県の遺族に対して、森永乳業は、最高裁まで争い、敗訴に追い込んだ。
森永の裏金工作の実例
「ひそかに」千万単位のカネを“標的”に仕込む森永乳業
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タイトルは皮肉っぽく「個別賠償」だが、記事の通り裏金工作である。個人情報は削除した。なお森永は、徳島の遺族との訴訟は徹底的に争い、敗訴に追い込んだ。つまり、森永の「お気に入り」には表向きを偽装して裏金が支給され、嫌われたら国家・司法の手で放逐されるということか。自らが傷つけた被害者家族をカネで操縦することにためらいがない。本来なら森永乳業に愚弄される立場となった司法の側が憤慨すべき事件のはずだが…。
2022年から始まった大阪裁判でも証拠として提出されている。これに対して被告・森永乳業は要旨「これは死亡者だから別」といった弁解をした。
遺族の訴訟を敗北に追い込みたい森永へ奉仕を始めた「守る会」
この徳島県の遺族の裁判「萩原訴訟」では、森永乳業が萩原氏を敗北に追い込むために、「ひかり協会」発足後の森永との非敵対的関係を逆手にとって、驚くべきことに、被害者団体を、遺族を追い込む訴訟の下請けに使い始めた。
「守る会」の上層まで上り詰めていた腐敗幹部Kと潜入を果たしていた民主集中制勢力はタッグを組んで、岡崎哲夫の保管資料(現・資料館資料)である被害者団体の創設以来の膨大な機密資料を、そっくり森永に引き渡すよう要求した。もちろん、森永から裏で依頼されたからだ。過度な個人批判を避けるために「腐敗」とあいまいにしているが、賢明な方には、「腐敗に至る原因」は推して知るべしである。
「ひかり協会」発足から始まった変節
あっという間に森永乳業の前で「裸踊り」を始めた「守る会」
すでに、組織内に浸透した党派的勢力はこの事件の救済運動を丸々自勢力の広告塔とすべく、彼らお得意の「組織操縦テクニック」(民主集中制)で激しい政治的な画策と標的へのパワハラを開始していた。
被害者救済運動の中心でなにもかもを担ってきた岡崎哲夫は、基本的には「被害者とその親」に対しては性善説に立っていた。工作に屈服する親は沢山みてきたが、少なくとも目の前にいる「親とその子」を信じることができなければ、救済運動などやれない。まさに、その親の「信頼」を逆手にとって、「罠にはめていく」やり方だった。
だが、まさか昨日まで共に闘ってきたはずの「親」までが、腹の底で「全く別のことを考えており」、森永乳業から資金拠出が始まるやいなや、森永乳業への露骨な忖度と異論排除工作の先頭にたつとは想定していなかった。
パワハラの連続で精神的にダメージを受けていた岡崎哲夫は、だが、いくら救済事業が開始され、森永との闘争を中止しているからといって、機密資料の森永乳業への提供を機関決定するという破廉恥な行いに対して「そんな “裸踊り” みたいなことを親がやることは許されない」と猛然と反発した。
それまでの数年間は、かろうじて守る会は、ひかり協会の変質を唯一牽制できる砦のはずだった。
だが、自身が創建した「守る会」も、官僚化して別物に変質を始めた「ひかり協会」と一体化し、翼賛型の森永の傀儡(かいらい)勢力へと、団子になって変質し始めていることに気付いた。
新しく「守る会」幹部となった集団による森永乳業への追従姿勢はもはや、止まる気配もなかく、徳島県の遺族の裁判を敗訴に追い込むための資料強奪を画策して、岡山市北区番町の岡崎哲夫の私宅を多人数で取り囲む「強盗未遂」まがい事件も発生している。
その後、岡崎哲夫は、1986年に新しい組織を立ち上げるところまでに追い込まれ、その時点で、待ってましたとばかりに「規約違反での除名」で排除される。スターリン主義党派の常套手段だ。 文末、能瀬英太郎『紙のいしぶみ』参照)
森永乳業幹部が広島の被害者家族の封殺に直接動く
また近年、救済の貧困について、「ひかり協会」に長年抗議してきた広島の重症被害者の父親に対して、“今後は黙るよう”、しかも「長年にわたる“ひかり協会”への批判は、“無かったこと”にするよう」にサインをせまった問題で、森永の幹部役員が直接的に画策している議事録も提出されている。(関連記事:能瀬英太郎著『後退する被害者救済』をご参照。文末にpdf公開)
森永乳業は、カネにものを言わせた宣伝活動で、自社への礼賛をさせることを、事件発生当時から続けている。表向きの美しいイメージをつくり上げることで、世論を欺き、他方、裏では被害者家族への直接工作で不正な操縦を行う技術に長けている。それに一切のためらいをもたないのが、森永乳業の特異的体質だ。
だから消費者はだまされる。ヒトラー式プロパガンダ「大衆を騙すときは大きな嘘をつけ」だ。「我が闘争」をひそかなバイブルにしている節操のない広告会社もある。ヒトラーが「ドイツ共産党から技術を学んだ」と公言しているように、全体主義のやり方は技術的には、みな共通していて、古今東西、悪党どもが利用しあっている。
この20年ほどの間に、森永乳業に知恵を貸す大手広告代理店・電通の関与もあきらかとなっている。実は、電通は森永と昔から「同志」関係のようだ。
戦時プロパガンダの立役者・森永
森永は、戦時プロパガンダ技術集団「報研」の牽引者として、電通と癒着。
森永の巧妙なプロパガンダは、実は、事件を契機に慌てて考案されたものではない。
最近、資料館の実施した歴史調査で、森永が戦時中の大本営発表のプロパガンダを技術的に担っていた事実が判明した。
分社する前に所属していた現在の親会社である森永製菓(現・森永乳業の筆頭株主)は、創業当時から軍部に取り入って市場を拡大するやり方をとっていた。
森永は、戦時中の軍国主義を支えるプロパガンダ技術集団であった「報道技術研究会」(報研)のリーダー格であり、その不正な暗躍を通じて現在の広告代理店・電通と特別な蜜月関係を築いた。(電通は、大本営発表の推進機関であった旧:同盟通信社の広告部門。通信部門は解体されたが、広告部門が「電通」として生き延びる)
森永は、日頃の消費者への広告宣伝の経験をかわれて、国民の末端までをコントロールする宣伝・扇動の技術を軍部に指南していた。特に森永が得意として最前線で担ったのは、「軍国少国民」を量産する青少年へのプロパガンダである。わかりやすく言うと「政治的洗脳のプロ」である。
日本広告界から偉人扱いの新井静一郎(森永のち電通常務)その正体
森永乳業は、事件発生から13年経過した1968年に刊行した大部な社史『森永乳業五十年史』のなかで、当時の電通の常務で元森永の社員・新井静一郎を迎え、「新しい乳業のイメージを ドライミルクを中心に育った広告活動」なる表題で対談をしている。
そのなかで森永幹部は、要旨 “国民を誘導することなど宣伝技術をもってすればたやすい” “事件は新聞社や行政内部にいる味方を使ってうまく処理した” などと実名の県名、社名を挙げて豪語し、長年月にわたる被害者圧殺の恐るべき手の内を明かしている。
1968年といえば、森永乳業は、救済運動を完全につぶした気になっていた時期であり、言いたくて仕方のない自慢話を思わず「社の栄光の歴史」として公開してしまったのだ。
大量の乳児を死においやり、一万人をこす乳児被害者を出しておきながら、「まんまと、してやったり」風の放言をしている新井静一郎ら森永幹部に、反省の気持ちや、悔悟の気持ちは微塵もみられない。新井は現在、日本のアドマンから、日本広告界の神様のように崇拝されており、電通は自社の中興の祖のように宣伝してきた。
ヒューマニズムのかけらも見当たらない日本社会の裏側だ。いずれ内容を公開したい。
また、こういう汚い癒着で、歴史的に途切れることなく構築してきた政界と森永のパイプが、事件圧殺のために国家権力を下請けのように利用できた要因にあったと考えられる。解明すべき問題が数多く存在している。
羊頭狗肉と化した「恒久救済対策案」
「森永はよくしてくれている」「ヒ素を飲ませてもらってよかった」なる「公益財団法人ひかり協会理事長」の「恒久救済やります」発言の真意
2022年に大阪で、事件の重症被害女性が森永乳業を被告として裁判を起こした。事件から67年を経て再度白日のもとにさらけ出された森永乳業の継続的不法行為は、賠償という部分にのみスポットが当てられがちだが、その背景こそが、最大の問題だ。
1980年代以降変質しきった「被害者」団体と「ひかり協会」
現「被害者」団体と財団法人「ひかり協会」は、すでに水面下で進行していた工作により、1970年代から変質を開始した。
1980年代には、是正を試みた運動創設期の親たちが、組織内で激しいパワハラと言論弾圧を受け、最終的には高度な政治謀略的な手法で除名排除された。(文末参考資料:能瀬英太郎『紙のいしぶみ』参照)
この両団体の人事は事実上一体化しており、抵抗者が完全排除されたあとは、ひたすら森永に忖度して「被害者の合意」なる表向きの形式(批判者がすでに排除されているから単なる翼賛組織である)を積み重ね、国との三者合意で約束された「恒久救済対策案」の骨抜き(当初合意された多くの事業項目の9割を不実施にするという、被告・森永の狙い通りの不利益変更)を目指して、ひたすら邁進してきた。
当初の合意から9割削減され ‘’抜け殻‘’ と化した「恒久救済対策案」の現状
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「ひかり協会」と森永乳業がしきりに喧伝する「恒久救済対策案」の惨憺たる実態(20年前の2005年に岡山のルポライター能瀬英太郎氏が発表)。当初に合意した内容の一割程度しか実施されていないことがわかる。当初案のままであれば、決して「やります」とは言わないだろう。森永乳業は、「ひかり協会」をして救済対策の項目の9割を削減するという不利益変更を続けさせた上に、「ヒ素ミルクを飲んで良かった」とまでいわせる。元々の対策を実現に導いた親は40年前に謀略的手法で除名済み。加えて、その親たちが始めた社会復帰事業と施設は、森永の支出を増やすからか、途中で中止させ、完全に潰してしまった。今では「魂を抜いた ‘’‘抜け殻‘’ 」を宣伝して「公害被害者救済の理想形」であると、国民や学者・研究者までを騙している。
すでに20年前に暴露されている「恒久救済対策案」の実態
この40年間、主にメディアを利用して大宣伝されてきた「恒久救済対策案」の惨たんたる実態は、以下のレポート『発生から50年』でじゅうぶん明らかにされている。
これは、すでに20年前の2005年に発表され、森永ヒ素ミルク中毒事件資料館でもネット公開してきた。文末の雑誌記事では9割削減を批判する広島県の重症被害者家族への圧力行為の具体例が暴露されている。
出典: 『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』 文末参考資料にも掲載 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-report.pdf
森永と共謀している者たち/民主集中制の大罪
異論封殺が完了している現「被害者団体」
被害者団体の内部では異論は封殺され、要求を出すと「法外」などとレッテルを張られ、「我々の運動は国民との合意で運営されているから」(そんな合意などしていないが)、我が組織に歯向かうと “国民から敵視されるぞ” と言わんばかりの長文が機関紙に踊る。
彼らは被害者が「社会から差別されてきた故の委縮効果」を逆手にとって、「国民との合意」なる珍妙な文言を頻繁に利用し、心理誘導のプロパガンダで異論を抑圧してきた。
恐るべきことに、‘’被害者は勝手にマスコミの取材に応じてはならぬ‘’という「ガイドライン」までが作られて周知徹底されている。まるで旧ソビエト体制である。
「被害者」団体はどのように操縦されているか?~「民主集中制」の罠
明らかに「民主集中制」を支配の道具として使う「宣伝扇動」の政治活動のプロが、森永からの拠出金という「金のなる木」に目を付けたとみられる。
孤立無縁にされていた救済運動に、「支援」と称して近づき、お得意の潜入工作で要所に住み着いた。
用意周到な計画で、被害者家族集団の内部をじっくり観察し、森永からの工作で腐敗した親をパワハラ実行部隊として使うことに決めたようだ。
カネが出始めるやいなや、かたやお得意の「平和と民主主義」を叫びながら、かたや「憲法の精神で活動する被害者団体内部で批判や議論をして混乱を招く親の存在は許されない」などというお得意の「民主集中制」理論を持ち出し、一斉に牙をむいて批判者を包囲し、長期間かけてイジメぬき、再建団体を立ち上げざるを得ない状況に追い込む罠を仕掛け、規約違反を口実に排除した。
洗練された宣伝煽動のテクニックだ。
最もあくどいレベルの加害企業が、少なくとも表向きは正反対のスローガンの政治集団と手を組んで、最も抑圧された人々を騙して、その人権を侵害してシラッとしている。
トランプ流の先取りといえば例えが良すぎる。むしろ、1939年のナチスとスターリンのポーランド共同分割の構図に近い。
あの国の共産党が党内投票の試みを止めた 「民主集中制」の呪縛とは:朝日新聞
日本共産党の党首公選を主張する『シン・日本共産党宣言』を出版した松竹伸幸さんが党を除名された。松竹さんを批判する党機関紙
www.asahi.com
「どこかの国の党」とそっくり
かれらは、その後、鉄砲玉にしたパワハラ実行者を使い捨てて、内部を思想的に統制、巧みな政治宣伝で完全支配下におき、はや40年以上がたつ。
かたや森永は、願い通り拠出が抑制され、「被害者」団体が「加害企業への称賛」を代行してくれるから、これを大歓迎して利用している。さすが、軍国主義の宣伝を担った企業だけのことはある。
表向きの「思想」が正反対でも、その権力志向のイデオロギーと貧困ビジネスを生業とする勢力の特性を知り尽くし、自社の下請けとして利害一致の共謀関係をガッチリと構築し、被害者を支配している。
40年間続けてきたプロパガンダ
年間売上げ高5千億以上をたたき出して、大儲けを続ける森永乳業は、潤沢な広告出稿を背景に一部メディアを操縦して屈服させてきた。
それを通じて、徹底的な「両者円満」「問題は終わった」なる宣伝を40年間続け、「森永に感謝する被害者団体」を拡散して、事件の実態を隠蔽してきた。
大阪裁判:苦しみ続ける人間を消し去る判決
2022からの大阪訴訟の怪=「裁判長の中途交代劇」
本裁判では、当初担当していた女性裁判官が交替させられるという極めて珍しい事態が発生し、かわりに、新たに登場した野村武範裁判長は、公判中から仕事に臨む姿勢がとても「軽そうに」見えた。
これまで、幾度も様々な裁判を傍聴してきたが、傍聴者にこんな印象を感じさせることも、また珍しい。
あんのじょう、原告の請求を「除斥」であっさりと棄却し、「ひかり協会」の現状を肯定した。
今裁判で、原告弁護団は「協会」や現「被害者団体」の異様な工作の全体像を、文書証拠とともに大量に提出しており、一気に、この裏側が表に出始めた。
だが、国と森永をバックにつけて大船に乗ったつもりでいるのか、「ひかり協会」理事長は「ヒ素ミルクを飲んでよかった」なる異様な発言を、今裁判の証人尋問を含めて、従来から繰り返し公言している。このような、加害企業を露骨に賛美してきた「40年のなりわい」の異常性が、若い世代の記者に露見した。
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2022年から始まった大阪訴訟の一審判決(2025.4.22)を前にした朝日新聞の全国版記事。
「被害者」を看板に使わせながら「ミルクを飲んで良かった」と公言させる。
「被害者間のつながり」を彼らは「ミルク友達」などと呼称している。
事件発生当時から一貫して続ける森永のプロパガンダ:「被害者自身にやらせる森永への感謝キャンペーン」の究極的な完成形であり、加害企業による「かいらい政権的な支配」の最先端事例だ。その背景には何が介在しているのだろうか?
症状悪化も「質的に異ならない」 ヒ素ミルク事件、森永の賠償認めず:朝日新聞
粉ミルクの製造工程でヒ素が混入し乳児130人が亡くなった1955年の「森永ヒ素ミルク事件」で、脳性まひになった女性(70
www.asahi.com
2022年から始まった大阪訴訟の判決については、以下の資料館ブログ「市民」で連載している。
裁判所は前述のような森永乳業による不法行為の継続には、さして関心がないらしい。
いったん被害者になると、家族ぐるみで、こういういやがらせを一生にわたり受けるのが日本社会だよ、ということらしい。
被害者が何度も叩かれるという現実を追認している姿だ。
国家が前面に出て弾圧した事件に、除斥を適用するか?
不当判決について簡単に要点を書こう。
野村武範裁判長は、20年の除斥を適用して棄却している。あたかも「除斥」を適用して棄却するのは日本の司法制度上の義務であるかのように装っているが、違う。
森永ヒ素ミルク中毒事件は、国家が前面に出て、森永の防波堤となり、森永に加担して、事件を存在しないことにし、被害者をゼロ歳児から少なくとも20歳まで治療機会から排除した。日本戦後史上初の食品公害は、このような抹殺体制が敷かれた。
国が、加害企業を長年助けてきたなかで原告の体は不可逆的な悪化をたどっているのだ。このような事件で、被害者の訴えを20年などという短い時間で斥(しりぞ)けるなど、人間のしてよいことではない。今回の不当判決は、この裁判長の独自の考えから出たものである。
国家・司法は何を消し去ろうとしているのか?
原告女性は乳児の時にヒ素を飲まされ、脳性まひが進行し、派生する疾病の数々に悩まされ、家族、社会から差別と虐待をうけ続け、さらに「ひかり協会」からも「孤立化政策」をかけられてきた。
彼女は、もはや半身不随状態であり、症状が改善される見込みはなく、悪化の一途をたどっている。70年間、原告女性の人生は三重苦、四重苦の連続であった。本人もいうように、この人生は死という最後まで続く。
裁判所は、このような人生のスタートから苦しみ続ける重症被害者に、なんら意味のない20年という時間の壁を押し立てて、これまでも、さらにこれからも続く苦悩の人生を「存在しないことに」してしまおうとしている。事件の背景にある被害者への封殺構造といった恐ろしいまでの不正行為の連続も「知らないことに」している。悪意に満ちている。
人間の価値など考えてもみようとしない現在の司法の姿は、必ず社会を狂わせる。
産業公害は過去のものではない
資料館はその歴史的検証を通じて、「現在、進行している偽りの作為」、すなわち、「産業公害は日本では過去のこと」「現在はまったく問題はない」「被害者は今では加害企業・森永企業に感謝している」「ヒ素ミルクを飲んで良かった」などという異様な言説の「意図的な流布」の背景にあるものに対してアプローチを続ける。
【2025大阪判決】重症被害者の「実情無視」【連載】その1 : 市 民
森永ヒ素ミルク中毒事件大阪訴訟 地裁一審判決 2025年4月22日 はじめから棄却の結論ありき 大阪地裁のこの裁判で
morinaga-hiso.blog.jp
森永プロパガンダの基本は歴史歪曲と「被害者自身にやらせる自社への感謝キャンペーン」
大本営発表ばりの「森永賛美宣伝」が続いている日本
森永乳業と傀儡組織のメディア工作は激しいものがあり、1970年代頃までは事件史、救済運動史は出版されたが、それ以降は、我が国ではほとんど出版がない。ライターが書いた『週刊 金曜日』記事数本、連載48回の『むすぶ』(旧『地域闘争』)記事、自費出版が一冊、科学技術社会論(STS)の研究者による研究書がわずかに一冊出版されているだけだ。
だが、貴重な研究を進めたSTSの科学者(故人)にも、前述の森永に忖度する現「被害者団体」は圧力をかけた。陰に隠れて中傷誹謗して回る者さえいる。
「被害者団体」の看板を手中におさめた民主集中制は、こんなやり方で、事件史を歪曲し続け40年間にわたりメディア工作でプロパガンダをやり続けている。
したがって、国民多数にはこの事件の真相と真の教訓は伝わらないままであり、あらゆる機会を利用して歪曲された事件史が拡散されている。
資料館ホームページの文書庫では、様々なテーマの文献が無料公開されている。ダウンロード・転載自由。
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 歴史文献書庫-DL及び転載自由-
ww3.tiki.ne.jp
ウィキペディア、中坊公平「本」には要注意
近年、世間には情報が氾濫しているように見えるが、こと森永ヒ素ミルク中毒事件に関しては、まともな公刊書籍がほとんどない。
我々市民がいざ死活的な問題に直面したとき、ネット上には、40年間継続されている「森永乳業はよくやっている」「森永乳業は責任を果たし続けている」といった類のプロパガンダのお題目がトップ表示され、中坊公平氏といった(元)弁護士が、あまたの書籍で拡散した「情緒で誘導」する事実誤認の言説本(要旨「被害者は森永に感謝」などと、森永と被害者は蜜月関係であるかのような作為的に作られた「有り得ないパッピーエンド」に誘導する物語)に、学者・研究者までが誘導されている。
加えて、「当事者団体」「ひかり協会」など加害企業に忖度する勢力が、こぞって森永賛美の一話完結型の「ハッピーエンド」を語る。だから登場人物を絞り、重症者の訴えを無視すれば、「最初は悲しいけれど、現在は落ち着いてハッピーなストーリー」を作るのはいともたやすい。
実際、一部のメディア(フジサンケイ系列だけとは限らない)は重症者の人権侵害などはひたすら「知らないふり」を決め込んで、いかがわしいストーリーの量産に精を出している。
加害企業の免罪や毒物混入要因の偽装を目的にさんざん手を加えられ書き換えられるネット百科事典ウィキペディア(Wikipedia)は森永ヒ素ミルク中毒事件に関しては、もはや、支離滅裂、無茶苦茶になっている。
とんでもない人物までが礼賛されている始末であり、根拠のない話を書き散らしながら、誰も責任を取るつもりがない。
また、森永からのCM出稿を期待してか、森永に忖度する現「被害者団体」を代行宣伝する記事やテレビ番組等が岡山の地元メディアを中心に制作され続けている。重症被害者の人権問題への言及は一切ない。YouTubeにまでアップされ、全国に拡散されているから、今後も騙される人々が再生産され、歴史の歪曲は半永久的に続く。
顕著なプロパガンダの例、「関西テレビ」
「やらせ報道」で一躍有名になった大阪の「関西テレビ」は、なんとその年に「やらせを反省」するを謳い文句に、中坊公平氏や森永の幹部役員、被害者団体を登場させ、森永ヒ素ミルク中毒事件に関する嘘だらけの「究極のヤラセ報道番組」を制作放映した。
今大阪訴訟の法廷でも、この番組が、弁護団により証拠として法廷に提出され、一部が上映された。
番組中で関西テレビは、被害者に「ヒ素中毒でよかった」と言わしめ、情緒的誘導で、三者は今ではすこぶる円満な素晴らしい関係に落ち着いているというストーリーを展開した。だがその美談を支える「事実」はでたらめで、放映後、視聴者から多くの事実誤認を指摘された。
「弱者管理はあの党にまかせておけ」
関テレは、よくわかっているのだ。最初から確固としたプランで進めている。出来レースという。
番組制作の背景もわかりやすい。関テレは被害者団体の性格も知っている。それは産経新聞がかつてやらかした記事(おいおい明らかにしておく)でも、明らかだ。
同局は、視聴者から指摘された明らかな間違いさえ訂正せずに「コンテスト」に応募、驚くべきことに「ギャラクシー賞」なる「栄えある賞」を受賞し、いまだに悪びれもせず、局のHPでこの番組の宣伝を続けている。
当館はギャラクシー賞を与えた「放送批評懇談会」に質問をしたが、一年間無視を続けた。督促した当館に対して、「テープが見当たらない」などという幼稚な返信を寄越して、回答を事実上拒否した。
指摘されても、自分の組織の面子のみを優先し、被害者の尊厳を侵犯する重大な虚偽を認めないし、訂正さえしない。これが現在の日本の現状である。
よって、歴史的事実はおろか教訓さえ把握できず、被害者が同じ苦難を強いられる、という状況が我が国には蔓延している。
森永事件解説ポスター 25P参照
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-poster-00.pdf
被害者への「政治的囲い込み」を容認する社会の行く末。
社会にとっての最悪の結末は、人間の権利をひとつひとつ剥奪してゆく末にある理不尽な状況だ。
「平和と民主主義」とか「人類理想の労働者国家の樹立」などを掲げる集団が裏でやる、いかがわしい浸透工作と市民運動の乗っ取り、社会的弱者への支配欲と二枚舌、隠れた人権侵害…。
同時に、これを利用して被害者支配を永久化し「免罪の完成」を目指す、上場加害企業の工作とプロパガンダ。
これらの状況を知ったうえで、「被害者の収容所」を合理化しながら、こっそり「広告」等々にありついている面々。
止まらない日本社会の腐臭
実際、日本社会でも、芸能プロの性加害から、各種の司法当局の汚職、政治家、PTA、公益を称する団体、芸能文化団体、フジテレビから、日本共産党の党内問題等々、とてもじゃないが書ききれないほどの組織から、例外なく腐敗臭が噴出している。
人生は、もちろん楽しく素晴らしい体験をすることもできるし、もっぱら、そうしたいから人間は生きている。が、その反面、それを他人への一方的な犠牲転嫁で享受してはならず、社会で生活していると、しばしば「そうなりがち」だから、自分自身のなかの悪なるものとの格闘・葛藤の連続であることの自覚も必要だ。
「人間、いつもいつも葛藤はしておられないよね」と言いたいところだが、一般企業の社員の日常をみる立場から言わせていただくと、まじめな社員たちは、これと連日、葛藤・格闘している。
そうしないと、「加害者」の片棒を担ぐことになるという自覚があるからだ。「コンプライアンス」「ガバナンス」などと当たり前のことを横文字にして大仰に言われる。「経営陣だけは守っていない、なにかが違うな」とは思っているが、多くが、社会への責任を考えてまじめに努力している。
だが、「ああ、うちの役員も、あの会社も、このマスコミも、その役所も、あの政党も、昔からデタラメだったのね」と、どんどん嘘がバレ始めている。そう、実際、ずる賢い人間だけが影に隠れて、美辞麗句の裏で他人を犠牲にして私利私欲をむさぼっている。
ひとりひとりの人間の「質」こそが問われている。
だが、これに関して、この世はあまりに思慮浅く、危うい。
誰彼の保身と言い訳によって歴史が歪曲されるとき、人間社会の未来もまた、大きくゆがめられる。
【参考資料】
ルポライター能瀬英太郎によるドキュメンタリー
『森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年』
『紙のいしぶみ』
『後退する被害者救済』
森永ヒ素ミル中毒事件資料館
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森永ヒ素ミルク中毒事件は、昭和30年(1955年)に日本で発生した、森永乳業の粉ミルクによる乳幼児の大量死亡・被害事件です
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森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 岡崎久弥
1955年、原乳の腐敗を隠すため産廃由来のヒ素混入物質を投入した森永乳業の粉ミルクで130人以上の乳児死亡、1万3千人の患者。反省なき森永は国を使って20年に亘り救済運動を弾圧。不買運動で倒産寸前となった森永は渋々救済案に応じるが、以降も不正な工作を続け2022年再び提訴された。
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